無責任な左翼たち

お前が働け

少し前に話題になった記事がある。

 

toyokeizai.net

*1

資本主義を理解するためにあえて労働環境の劣悪な会社で働けとのことらしい。お前が働け。

 

いつでも辞められる余裕があれば、と言うが、では辞めた後の生活を白井が保障してくれるのか?

現行の社会保障制度では自己都合退職の場合、少なくとも1年間は雇用保険に加入していないと失業保険は適用されないぞ。それを知ったうえで白井は「いつでも辞められる余裕を」と言っているのか?

若者に無茶を勧めるくらいなら、せめて社会保障制度がもっと使いやすくなるよう活動なりして取り組むのが筋ではないか。

 

もしかしたら白井は家族に資産の余裕がある学生に働けと言っているのかもしれない。ただ、学生の貧困化が問題となる今日、そんな層は全国的な比率でみても少数だろう。

そもそも生活保障を家族に負担させることを前提としているのはどうなのか。白井はトランスジェンダーに対する差別を擁護するなど性差別に対して保守的な姿勢を度々示しており、そのような傾向と今回の提言は無縁ではない。かつて安川悦子は「女性の居場所」としての家族を前提とするマルクス主義を「セクシストマルクス主義」と呼んで批判したが、白井ほど”セクシストマルクス主義者”の称号にふさわしい学者もいないだろう。

 

無責任な左翼たち

 

白井に限らず、人々に「立ち上がれ」とか「闘え」という左翼たちが無責任であると思うことが少なくない。最近、下記の本を読んだ時もそう感じた。

 

 

本書では不正に異議を申し立てず、従順さを示すことの問題を論じている。著者の主張それ自体は間違っているわけではない。*2

 

しかしながら、本書を読みいくつかの疑問が思い浮かんだ。わたしが感じた最大の問題は、異議申し立てをした際に起きるであろう支配者側の反発や報復の可能性を示唆すらしないことだった。

 

不正に異議を唱えてそれがすんなり通る、なんてことは残念ながら現実的ではない。というのも、支配する側は当然、秩序に従わない者たちを統制し屈服させようとするからである。

 

当たり前のことだが、暴力やハラスメントの責任は、支配に服従する側ではなく、暴力を振るいハラスメントを行う側にあるのである。ところが、人民の蜂起を夢見る左翼は実際の権力関係をまったく考慮せず、暴力やハラスメントが蔓延する原因を「立ち上がらない人々」に負わせる転倒をしばしば起こすのである。彼らにとっては「いじめられる方が悪い」のだ。

 

不正に異議を申し立てようと読者を煽るなら、せめてそのリスクや対処法も示すべきだ。また、もしもの時の相談機関などを例示して、仮に何か問題が起こって大丈夫だという安心感を読者に与えなければならないはずだ。だが、本書には告発や抵抗する人々を守るという意識が欠けている。

 

もし著者の主張を真に受けて、いざ不正を告発したもののひどい報復に遭い、以来抵抗することもやめてしまった、という人が出てきたらどう責任を取るつもりなのだろうか。そのような挫折を経験をした人々に「適切に対処しなかったお前の自己責任だ」と叱責する左翼をわたしは何人も知っている。なんて無責任な人たちだといつも思う。

 

「ジェネレーション・レフト」論の問題

 

抵抗を煽るだけ煽っていおいて後は知らん振り、という言説は多い。近年流行しているZ世代論もそうだ。

 

抵抗の主体としてのZ世代を表象するジェネレーション・レフト論の最大の問題は、社会運動を継続するなかで必ず起きる事象である、挫折や転向、報復といったネガティブな要素を予め排除して論じているところにある。しかもジェネレーション・レフト論の主唱者たちは、自身の経験からそれらの問題が回避不可能であることを知っているにもかかわらず、あたかも問題が存在しないかのように隠蔽しているのだ。

 

主唱者たちがこのように振る舞う理由は、若者を囲い込んで自分たちの運動に加えるためである。抵抗を呼びかけるアジテーションにネガティブな要素は不向きなのだろうが、本気で運動をやりたいという者には不誠実な態度であると言わざるをえない。

 

なぜ沈黙し隠蔽するのか。それは自信がないからだ。運動は楽しいことばかりではないが、それでも社会を変えるために一緒に取り組んでほしいと訴えかけるだけの技量と自信がないからだ。だから運動に参加したばかりの者が挫折にぶち当たると運動家は非難し圧をかける。若者をアジって大量に人を集め、使えない者を選別して排除し、うつにさせて使い捨てる。冒頭の記事に出てくる企業のやっていることと何が違うのだろう。

 

挫折や転向、そして世代について考えるとき、下記の本を思い起こす。国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスでも読めるので、もし読める環境があれば一読してみてほしい。

 

自分の問題意識のせいで、わたしはまだ本書の指摘を読み砕けていない。しかしながら、一つだけ確実に言えることは、挫折や転向の問題に向き合わなければ、そうやすやすと人々をアジり抵抗を煽ることもないということである。

*1:ところで、この記事の最大の問題は結局何が言いたいのかわからないところにある。資本主義を批判しているかのような書き方をしているが、よく読むと企業の労務管理に対する批判はない。時事的な話題に乗っかってPVを稼ぐ以上の文意がないのである。

また、若者にあえて理不尽な目に遭うよう勧めておきながら自分は何も関与しない白井をみると、ちょろっとでもウーバーイーツを体験してギグワーカーの苦労を味わった斎藤幸平大先生の方がまだ誠実だと思えてくる。

*2:主君殺しや自警団の肯定など、危うい記述も多い。