高市政権の買春規制
現在、高市政権の下で買春行為に罰則を設ける規制が検討されている。
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現行の売春防止法は売春行為の斡旋や勧誘等に罰則を設けている一方で、児童買春以外の買春行為に規制がないことが問題とされていた。そのため、高市首相による規制指示は議員だけでなくフェミニストからも支持されている。
買春規制の法制化を求める声が強くなっている背景には、同時期にタイ国籍の未成年女性が性的サービスを強要されていた事件が報道されたことも影響している。
マッサージ店でタイ国籍の少女(12)を働かせたとして、警視庁は6日、東京都調布市飛田給、同店経営者の男(51)を労働基準法違反(最低年齢)容疑で逮捕したと発表した。少女は母親と来日し、男性客に性的サービスをさせられており、同庁は人身取引の被害に遭ったとみている。
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この事件を受け一般社団法人「Colabo(コラボ)」が院内集会を開いた。そのなかでColabo理事で大東文化大特任教授の斎藤百合子は、日本人の若い女性たちも性売買を強要されている実態を説明し、人身取引禁止法を包括的に適用すべきだと訴えている。
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性的サービスの提供と人身取引を結びつける主張はColaboだけでなく、いわゆる「セックスワーク」を否定するフェミニストによって訴えられてきた。しかし、セックスワークを人身取引と同一のものとみなし、「搾取」であるとすることが、女性の人権を擁護するどころか、女性のみならずマイノリティの人権を脅かし否定してしまうこともまた多くのフェミニストによって主張されている。以下、その主張を取り上げ、高市政権による買春規制を支持することの問題を指摘する。
パレルモ議定書における「人身取引」の定義
人身取引とは何か。初めて公的に示されたのは2000年に締結された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書 (略称:国際組織犯罪防止条約人身取引議定書)」、通称「パレルモ議定書」と呼ばれる文書においてである。
『人身取引』とは,搾取の目的で,暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使,誘拐,詐欺,欺もう,権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて,人を獲得し,輸送し,引き渡し,蔵匿し,又は収受すること*1
「搾取の目的で」とあるが、パレルモ議定書では搾取を「少なくとも,他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取,強制的な労働若しくは役務の提供,奴隷化若しくはこれに類する行為,隷属又は臓器の摘出を含める」*2ものとして説明している。
議定書のタイトルに記されているように、パレルモ議定書における人身取引は女性と子どもの性的搾取の防止と撲滅を主眼としている。また、議定書締結以降、男性被害者をも含む労働搾取の防止と撲滅にもスポットが当たり、強制労働の問題が人身取引というアプローチから照射された*3。今日における人身取引は議定書をめぐる国際的な議論をベースとして論じられている。
日本の人身取引対策
過去の人身取引は、他者を物理的かつ強制的に運搬ないし移動させることが典型とされた。しかし、山田美和によれば、現代において人身取引の潜在的被害者は,物理的に強制的に自らの身体を運ばれるのではなく,高額の賃金などの虚偽の労働条件にだまされたり,脆弱な立場につけこまれたりして,自ら交通手段を利用して移動する場合が多いという*4。そのような過程を経た雇用の目的が搾取であるならば、それが人身取引の構成条件を満たすということだ。
日本の人身取引対策は米国の「人身取引報告書(TIP報告書)」に大きな影響を受けている。米国は人身取引を「現代奴隷制」と位置づけて対策をたててきた。米国国務省が毎年発行しているTIP報告書によれば、人身取引の核心は「隷属化 enslavement」にあるとされ、対策の最終目的は「奴隷状態に捉われた人々の解放」であると述べている*5。
佐々木綾子らは、TIP報告書が日本の人身取引対策に与えた影響は大きく3つあると述べる。「1つ目は、2004年に出された「人身取引対策行動計画」の策定のきっかけを与えたこと、2つ目は、2007年以降に対策が積極的に「日本人女性と子ども」の性的搾取を含むようになったこと、そして3つ目に「技能実習制度」を中心に外国人労働者の労働搾取を指摘することで、結果として技能実習制度の改定および廃止への動きを後押ししたということが挙げられる」*6。
2001年から発行されている米国のTIP報告書は、発行当初より、日本人男性による海外での児童買春目的のツアーの問題や「援助交際」などを含め、日本が子どもの性的搾取に関する問題に真剣に取り組んでいないことを批判していた*7。これに対し、2009年に犯罪対策閣僚会議によって策定された「人身取引対策行動計画2009」では、「児童に対する性的搾取について、『ゼロ・トレランス(不寛容)』の観点から対処する」(犯罪対策閣僚会議 2009 6)ことが明記されるようになる*8。
日本の人身取引対策の課題として挙げられるものは、「JKビジネス」や「パパ活」と称される「子どもの性的搾取」と、外国人技能実習制度である。近年の日本の人身売買禁止ネットワーク(JNATIP)は、TIP報告書の批判に呼応するように、「JKビジネス」や「AV出演被害」を人身取引とみなす語りを取り入れるようになった。佐々木らは、日本の市民活動における「人身取引」の語りは、日本国内の日本人女性の性的搾取と技能実習生の労働搾取を中心とし、そうした課題を支援対象としてきた団体が中心となって啓発活動を再開することとなったと述べている*9。
朝日新聞の買春規制キャンペーン
高市政権が進める買春規制は近年の人身取引対策の一環とみなすことができる。そして、大手メディアもまた高市の政策に呼応し買春規制キャンペーンを大々的に展開している。
朝日新聞の連載「買春は暴力 ―フランス 性売買の現場から―」は、高市が買春規制の検討をし始めてすぐ、各記事が立て続けに配信された。これはフランスの買春処罰法を、女性への暴力に対する「成功例」として紹介し、高市政権の買春規制実現を後押しするものである。
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また、2025年11月8日、買春処罰法制定に携わったモード・オリビエが来日し、大妻女子大学で開かれたシンポジウムに登壇している*10。朝日新聞は彼女のインタビュー記事を掲載し、セックスワークに対するオリビエの見解を紹介している。
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「セックスワーク(性的労働)という言葉は、性搾取の現実を隠蔽(いんぺい)するためのプロパガンダ用語だ」
「性売買は経済的な理由で強制され、隷属状態におかれる行為。労働ではありえない」
迅速かつ大々的な朝日新聞のキャンペーンは、高市政権による買春規制の実現がまるでフェミニストの悲願であるかのような印象を与える。決して少数ではないフェミニストの支持がその印象を強く裏づける。
しかし、現政権の政策は本当に女性に対する暴力をなくす取り組みとなるのだろうか。極右政権とフェミニストの利害が一致することに問題はないのだろうか。
おそらく問題は「人身取引」という議題設定と「搾取」の解釈にある。ここで筆者は、反人身取引運動に対する批判と「搾取」の再解釈を通して、買春規制をめぐる問題を深掘りしたい。
搾取とは資本主義の生命線である
先に紹介したパレルモ議定書の「搾取」は、定義されていないうえに例示も必要最小限にとどまっている。そのため、各国や各自治体、各運動体によって人身取引や搾取の解釈が異なり、それぞれの解釈の下で取り組みが進められているのが現状だ。
この「搾取」の解釈が人身取引をめぐる議論を混乱させている。オリビエの発言がそのことを端的に示している。オリビエは人身取引とセックスワークを同一のものとみなし、セックスワークという言葉は性搾取を隠蔽するためのプロパガンダであるとまで言っている。
このような「搾取」の解釈は恣意的かつ不正確であるばかりか、女性に対する暴力を根絶するための取り組みを誤った方向に進めてしまう危険がある。このことを理解するための手引きとなるのがマルクス主義における「搾取」の理解である。アントニオ・ネグリとの共著『帝国』『マルチチュード』で知られるマイケル・ハートと、マルクス主義フェミニストの理論家であるキャシー・ウィークスは、パレルモ議定書の批判的検討を進めるにあたり、マルクスの搾取概念を次のように整理する。
https://www.opendemocracy.net/en/beyond-trafficking-and-slavery/exploitation-rule-not-exception/
第一に、搾取は資本主義社会において常態化している。搾取とは腐敗の一形態ではなく、資本主義経済システムの生命線である。労働者は生きるために労働力を売るしかなく、働くことで賃金やその他の報酬として受け取る以上の価値を生み出す(これを剰余価値という)。
資本家は資本主義経済システムのルールに従い他者を搾取しているに過ぎない。つまり、人々が搾取されるのは、経営者が違法行為や不道徳な行為をしているからではなく、経済システムのなかで搾取が内在されているからである。搾取とは資本主義の「適切な」機能を構成するものであり、例外的な逸脱でも個人的な犯罪計画でもないのである。
いかに優れた雇用契約であっても、労働者は資本家の指揮命令下にあり、服従関係が生み出される。議定書が例に挙げている犯罪的搾取と、資本主義社会における通常の経済活動との間に線引きをすることは、実はそれほど自明なことではない。資本主義社会で労働がどのように搾取されているかを完全に把握するためには、あらゆる階層構造を把握する広範な視野が必要となる。議定書は個々の労働者の状況やそれぞれの支配関係の差異を全く認識しておらず、ましてやその対処方法を検討することもない。
強制労働 ──人身取引は例外ではなくシステムそのものである
ハート=ウィークスは続ける。人身取引の定義は、既に述べた搾取関係への勧誘方法にも焦点を当てている。しかし、ここでも、例外的な行為として提示されているものが、実は構造的な条件であることが判明する。
議定書の文言では、犯罪的な勧誘方法のリストは、暴力や詐欺の使用をはるかに超えて、「脆弱な立場の濫用」という驚くほど曖昧な概念まで含まれている。しかし、そもそも脆弱性とは一般的な社会的条件であるとハート=ウィークスは言う。実際、議定書の曖昧な文言の運用・体系化を試みるなかで、ILOと欧州委員会が「脆弱な立場の濫用による勧誘の指標リスト」に「経済的理由」を含めていることは、示唆に富むものである。
マルクスは再び、この問題をより明確に理解させてくれる。経済的脆弱性は、人々を所得と利潤を生み出す仕事に駆り立てる例外的で不当な手段ではなく、資本主義が労働を強制し、規律づける正常かつ必要な手段なのだ。労働者がこれらの仕事を受け入れるのは、自らの労働力を所有階級に売り渡す以外に選択肢がないからだ。そのため、たとえ奴隷ではなく賃金労働者であったとしても、彼らの労働が自由に提供されたものだとは到底言い難い。「だから彼の労働は、自発的なものではなくて強いられたものであり、強制労働である」*11。言い換えれば、経済的脆弱性は、労働に駆り出された労働者の正常な状態である。資本は労働者を搾取する必要があり、ほとんどの労働者は搾取される以外に選択肢がない。
人身取引への勧誘の例外的な性質を明確に定義するための様々な努力にもかかわらず、資本主義社会における賃労働と犯罪行為の境界線は絶えず崩れている。パレルモ議定書が例外的なものとして描写しているものは、結局はシステムそのものの状況を描写したものに過ぎない。
セックスワークと性的人身取引の混同 ──廃止論者の戦略は移民支援を犯罪化する
日常的な資本主義による搾取と、”例外的な”犯罪的搾取との間にある境界は、セックスワークと人身取引をめぐる議論では特に曖昧になる。
性的人身取引とセックスワークの混同は、過激な売春廃止論者団体の主要な戦略である。例えば、女性人身売買反対連合(The Coalition Against Trafficking in Women(CATW))*12は、「売春の搾取と人身取引は切り離せない」と主張し、あらゆる形態の売春を性的暴力や虐待と同一視している。パレルモ議定書と、それをモデルとした各国の人身取引対策は、セックスワーカーに対する取り締まりと訴追をより広範に活性化させる手段として機能してきた。
人身取引法の適用範囲が広範であるが故に、同法は移民や移民支援ネットワークに対する弾圧のために利用されている。法律があらゆるセックスワークを人身取引とみなす傾向があるように、移民支援も「人身取引」として訴追の対象とされるようになったのだ。その結果、地中海で遭難した移民を救助する活動をはじめとする人道支援プロジェクトが犯罪化され、人身取引防止法の下で繰り返し訴追されてきた。
議定書の起草に大きな影響力を持ったフェミニストの売春廃止論者たちが、マルクスの議論のある側面を、歪曲され限定的なかたちではあるものの、実際に繰り返しているのは皮肉なことだ。彼女らもまた、セックスワークと性的人身取引の区別を拒絶している。もしかしたら、「すべてのセックスワークは搾取である」という枠組みを「すべての資本主義的労働は搾取である」へと単純に拡大すればいいのではないか、と考える人もいるかもしれない。
しかし、売春廃止論者たちは、セックスワークが他の労働と同じであるという考えを受け入れることができない。廃止論者の非難が根本的に道徳的な根拠に基づいていることもあり、セックスワークは例外的なものであり続ける必要がある。そしてその結果、彼女らが好む解決策は、セックスワークを破壊するために性的サービスの消費者を犯罪者として扱う北欧モデルのような刑事訴追を中心に展開せざるを得ない。
以上がハート=ウィークスの主張である。
「被害者」とは労働をしない存在である
オリビエの主張をもう一度検討してみよう。
労働という言葉を使うことで搾取が隠蔽される、これは間違いである。正しくは「搾取」という言葉を使うことで「労働」が隠蔽されるのである*13。オリビエの主張こそ、廃止論者がセックスワークを否定するためのプロパガンダである。
セックスワークという語を嫌うフェミニストは、搾取という語を資本主義社会において例外的な状態を意味するものとして用いる。これらフェミニストの最大の関心は「被害」の有無にある。セックスワークという語を嫌うフェミニストが「労働」より「搾取」という語を好むのは、それが搾取者 対 被搾取者というわかりやすい二項対立を提示してくれるからである。
オリビエに限らず、日本の反人身取引運動もまたこの種の二項対立に陥ってきた。
このように変化してきた反人身取引をめぐる日本の市民活動の語りは、国際社会における「現代奴隷制」の廃止に向けた社会運動と呼応しながら「典型例」をつくりだすようになっていく。国際組織犯罪としての「人身取引」の語りは、国家の安全や秩序維持のために加害者を取り締まり、さらなる被害を予防するために被害者を保護支援するという流れのなかで構築されるが、「現代奴隷制」の語りは、被害者とみなされるカテゴリーに属する人々の側から「奴隷の解放」や奴隷的な労働形態の廃絶を訴えるものとして構築される。このような市民活動や社会運動は、二項対立的に立ち上がった舞台のうえで―たとえば、先進国と途上国、送出国と受入国、男性と女性、被害者と加害者、雇用主と被雇用者、支援者と被支援者など―女性、被害者、被雇用者、支援者、受入国、先進国の立場から人身取引を啓発し、それらの間にある非対称な関係性や構造的な抑圧に着目しつつ脆弱な立場に置かれた人々の側に立って権利を擁護し、不公正で不平等な社会を変革しようとその力を発揮してきた。
しかしながら、そうした市民活動の在り方は、時に「被害者」としてカテゴライズされた人々へのステレオタイプを強化し、「かわいそうな被害者」像をつくりだしてしまうことによって当事者の主観的認識とはずれた議論をしてしまったり、かえって社会の無関心やスティグマ化を助長し、他者化に加担してしまったりすることもあった(青山 2007、髙谷 2018)。*14
支援者が性的人身取引の被害者像を固定化することは、不適切な被害者支援を実施してしまうことにつながる。メリッサ・ジラ・グラントの『職業は売春婦』は、セックスワークに関して日本語で読める最良の文献の一つである。同書でグラントは売春廃止論者のフェミニストがセックスワーカーに対して向ける差別的な態度を厳しく批判している。
セックスワーカーをもの言わぬ象徴として、あるいは政策の是非を問う点検用の道具として、彼女らに政策やフェミニストを支持する役割をあてがうのが反売春陣営のやり方で、彼らはそうやってセックスワーカーが置かれている状況を厳しく非難しながら、一方でセックスワーカーの売春における役割が根本的に受け身だとしつつそれを放置している。両者の乖離がもっともひどくなるのは、セックスワーカーが討論会で演壇に立っても雀の涙ほどしか謝礼が支払われないときだ。*15
セックスワークで経験するのは暴力ばかりではない。すべてのセックスワークを暴力だけに結びつけるのは、ほかはいっさいありえないと否定することだ。そうすることで、セックスワーカーの話に耳を傾ける必要はなくなる。セックスワーカーの運命はわかりきっているのだから、あとは読者の先入観を裏づける証拠になってくれればそれでよいというわけだ。売春婦救済産業で働く人々にとって、セックスワーカーは自分の物語のなかで本当の自分ではないおさだまりの登場人物を演じるだけの存在なのである。*16
「不法移民」撲滅のための反性的人身取引運動
人身取引対策は容易に外国人犯罪の議論と結び付けられる。高市による買春規制指示に先立ち、立憲民主党の塩村文夏は「日本人女性と日本の尊厳を守る」ために外国人による買春を規制するよう高市内閣に求めた。
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性的人身取引対策が移民支援ネットワークの弾圧に利用されることはハート=ウィークスの議論で参照した。女性の安全という一点のみを求める取り組みが国家の暴力を容認し人権を抑圧する。社会学者のエリザベス・バーンスタインが「監獄フェミニズム」と呼ぶ一部のフェミニズムの問題である。
一部のフェミニズムには、女性に対する暴力の課題に取り組む際、知らず知らずのうちに自分たちがとる行動の種類によって、国家の弾圧的な権力の拡大や社会の犯罪化に加担してしまっているものもある。国家主導の犯罪化推進戦略を提唱し、治安維持、起訴、そして投獄の増加、さらには反売春、反人身売買のための法律制定を求める場合の事例だ(Bumiller 2008)。エリザベス・バーンスタインは、民族誌的な(エスノグラフィックとルビ)フィールドワークに依拠し、現代のフェミニストの反人身売買運動において、「監獄フェミニズム(carceral feminism)」と軍事化された人道主義との間に共謀があると論じている(Bernstein 2010)。*17
作家であり政策専門家、活動家のグレイシー・メイ・ブラッドリーと、移動性の統治と人種化プロセスを研究するルーク・デ・ノローニャは、「不法移民」撲滅の名の下に反人身取引対策が行われていることを鋭く批判している。
「「人身取引」や「現代奴隷制」対策を謳う宣言や政策が世界的に盛んになっているが、それらは「不法移民」撲滅のためのますます暴力的で無慈悲かつ地球規模になりつつある様々な措置と手を携えながら発展してきた。「反人身取引」活動の核心に位置づいているのは監禁的かつ処罰的な論理である。」*18
「問題なのは、人身取引と奴隷制の撲滅という名のもとに国境が新たな正当性を獲得することで、助け出す相手とされている当の人々に害が及ぶということだ。たとえば入管当局の摘発が「人身取引に遭い」「奴隷化されて」いる人々が働いたり暮らしたりしていると疑われる場所を狙うとき、当局が発見するのはほとんど常に犠牲者よりも入管法違反者なのである。このように救出の任務は執行機関による一掃作戦に酷似している。さらに人身取引や奴隷制の取り締まりにおける道理として個々の暴力的な男性──あの浅黒い肌の人身取引斡旋者というお決まりの登場人物──は送還されねばならない。しかし監獄廃絶論者が示してきたとおり、親密な関係下で起こるジェンダー化された暴力の圧倒的大多数は国家にとって見えないか、見えたとしても真剣に扱われることさえない。男性が女性を虐待してきた場合でさえ、その男たちを収監し送還することは効果的な救済をもたらさない。それはただ問題を消し去り、その処理を外部に委託するだけだ──送還の場合であれば別の国家の領土へと。」*19
「日本人女性と日本の尊厳を守る」という塩村の発言は、女性に対する安全保障の要求と、ナショナリズムとレイシズムの扇動が結びついていることを端的に示している。国家主導の買春規制は、外国人に対する国家の取り締まりを強化し人種差別を扇動する結果しかもたらさない*20。
反人身取引運動は「植民地時代の遺産」である
The National Survivor Network (NSN)は、人身取引のサバイバーたち自身が主導する、全米規模のリーダーシップ・ネットワークである。そのプログラム・マネージャーであるクリス・アッシュと、アッシュとともにCollective Threads Initiative(CTI)*21を共同で創設したフェミニストのソフィー・オティエンデは、「なぜ反人身取引はよりラディカルになれないのか?」と題する記事を発表し、反人身取引運動が抱える問題を指摘している。
https://www.opendemocracy.net/en/beyond-trafficking-and-slavery/why-cant-anti-trafficking-be-more-radical/
アッシュ=オティエンデは、反人身取引運動は「植民地時代の遺産」であり、「開発援助、そして慈善活動の産物」であり、その「従順な子」であると喝破する。
社会運動に対する資金提供は多くの場合、特定の活動の遂行のみならず、特定の人々と協力することを条件としている。そのため、現在の資金提供構造は運動団体の間の競争を助長する結果となっている。
クリス・アッシュはレイプ・家庭内暴力被害者支援センターへの技術支援提供者として活動していた時期、人身取引組織から「人身取引被害者支援サービス提供のための研修」を提案された施設から頻繁に連絡を受けていた。こうした研修の多くは、セックスワーカーの自律性を尊重することを妨げ、人身取引被害者が受けるサービスについて他の被害者よりも選択肢を制限することを推奨し、非性的な形態の労働における人身取引のなかで起こる親密な暴力の役割を完全に無視していた。
アッシュ=オティエンデは、人身取引の対策団体が他の運動のパートナーと円卓会議を開催するのを目にしてきた。運動の理解を得るためには、主流の人身取引対策の枠組みに賛同するパートナーのみを招待するか、たとえ多様なパートナーを招待したとしても既存の人身取引対策の妥当性に疑問を投げかける議論を控えるかのいずれかだったという。結局のところ、ほとんどの協力は、支援者に人身取引対策の枠組みを理解し受け入れてもらうことを目的としており、人身取引対策が自らの欠陥を検証するものではないのである。
We’ve seen language co-opted without integration of frameworks throughout the anti-trafficking sector. Organisations tackle ‘forced labour’ without addressing prison labour, which is recognised as exploitation by other movements and included in some global estimates of modern slavery. Organisations decry ‘exploitation’ without supporting unionisation or labour rights movements. Organisations talk of ‘resistance’, but just enough to keep up appearances and never consider what true liberation means; of ‘equity’, only as long as the current administration supports it; of ‘cross-movement’ to refer to the occasional roundtable; of ‘movement-building’ when they really mean networking.
We can’t get other movements to take us seriously like this.
訳:人身取引対策分野全体で、枠組みの統合なしに言語が流用される事例を私たちは目にしてきた。組織は「強制労働」に取り組む一方で、他の運動が搾取と認識し現代奴隷制の世界的な推計にも含まれる囚人労働には触れない。組織は「搾取」を非難しながら、労働組合結成や労働者の権利を求める運動を支援しない。組織は「抵抗」について語るが、それは見せかけを保つのに十分な程度で、真の解放が何を意味するか決して考慮しない。「公平性」については、現政権が支持する限りにおいてのみ言及する。「運動横断的」とは、時折開かれる円卓会議を指す。「運動構築」とは、実際にはネットワーク構築を意味する。
このように、私たちは他の運動に真剣に受け止めてもらうことができない。
アッシュ=オティエンデは次のように述べる。植民地時代の遺産である反人身取引運動は、人身取引という用語が普及するはるか以前から様々な抑圧と闘ってきた数多くの社会運動を脱政治化するだろう、と。
結論:国家主導の買春規制ではなく、セックスワーカーのエンパワーメントと組織化を
反人身取引運動が抱える課題は、高市政権主導で進められている買春規制の問題にも当てはまる。女性の安全保障を優先する政策が、国家の求める女性像に当てはまらない女性を排除するだけでなく、人種差別的な制度を強化してしまう。また、セックスワークと性的人身取引を同一のものとみなし、セックスワークを資本主義社会における労働とは異なる例外的なものとして描写することは、資本主義社会があらゆる搾取によって成り立っていることを見過ごすことになる。
ハート=ウィークスは、セックスワーカーの救済や訴追ではなく、エンパワーメントと組織化が適切な戦略であると述べる*22*23。また、ウィークスは、現代のセックスワークを他の労働から切り離して考える分析はすべて疑問視する必要があると主張したうえで、セックスワークの政治に対するアプローチは、不安定な労働や自律性を求めて闘う労働者の間で、正義を求める他の闘争との幅広い連携を築くべきだと述べる。*24
ブラッドリー=ノローニャも、移民やセックスワーカーを支援する際は「犠牲者」として扱うのではなくエンパワーメントが必要だと訴える。
「現代奴隷制」と「人身取引」の言語および政策は移民制限主義的な国家にとてもよく役立っているようであるから、それらを手助けし、そうすることで正当化してしまうことは、可能な限り常に回避する必要がある。そのかわりに、より一般的な権利要求をおこなっていくべきだ。その方法は、不安定な法的地位で暮らし、働いている移民たちが、多くの場合は「労働者」として権利を主張することによって示してくれている。セックス・ワーカーの抗議行動が与えてくれた洞察は、より広範な移民の闘争一般に適用することができる。すなわち、就労の犯罪化を終わらせ、警察と入管の摘発を止めることだ。これらの即時的で単純な要求は、ラディカルでありながらも、移民が被る脆弱さからの保護への最も見込みある約束を与え、犯罪化され非合法化されたあらゆる人々の自由を拡大するものだ。*25
ブラッドリー=ノローニャは言う。「労働者」や「犠牲者」というカテゴリーから排除された人々を──ブラッドリー=ノローニャはクィアやセックスワーカーだけでなく「ギャングの一味」さえも加えている──中心に据えてこそ、「私たちは最善のやり方でラディカルな諸要求を発展させ、そして廃絶主義的改良とはどんなものであるかを見定めることができるのだ。」*26