臨床哲学ニューズレター第5号にコメントが掲載されました

臨床哲学ニューズレター第5号にコメントが掲載されました。

 

clphhandai.blogspot.com

 

昨年参加したこちらのシンポジウムの感想文です。

 

 

感想文はこちらから読むことができます。

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他の記事も是非お読みになってください。

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書評『フェミニスト・シティ』

レスリー・カーン『フェミニスト・シティ』はインターセクショナリティ概念を軸に都市・地理学の問い直しを試みた作品である。

 

 

本書には意識すべき/関心を引くような論点がいくつかあったため、重要だと思う事項をピックアップしブログにまとめることとした。『フェミニスト・シティ』が広く読まれ議論が喚起されることを期待したい。

 

 

セックスワーク/トランスジェンダーをめぐるモラル・パニック

 

序章から既に言及されるように、本書では繰り返しセックスワークをめぐるモラル・パニックについて大幅に紙幅が割かれている。現在、人身売買とセックスワークを結びつけてセックスワーカーの根絶を図るグローバルな反ジェンダー運動が世界的に展開されており、日本でも一部、フェミニストを名乗る極右勢力がこれに加わっている。本書はこのようなバックラッシュの状況下で執筆、刊行、訳出されており、時代の影響を多分に受けていることがうかがえる。

 

モラル・パニックとは、ある現象がマスメディアや識者、行政機関によって脅威として喧伝され、人々が必要以上の危機感を抱くような事態を指す*1。アンジェラ・マクロビーとサラ・ソーントンは1995年に提出した論文のなかで、後期近代においてモラル・パニックが引き起こされる頻度は増しており、また、何が「パニック」なのか、という議論を引き金として激しい論争が起きてしまうという特徴を指摘している。さらに、モラル・パニックは即時的な反動を引き起こすことも述べている*2

 

近代都市にとって女性は言わば「厄介者」、すなわちモラル・パニックの対象だった。 ヴィクトリア朝時代の社会規範には、厳格な階級の区別に加え、白人女性の高潔な身分を守るための厳しいエチケットが組み込まれていた。しかし、そのようなエチケットは、都市で男女が接触する機会が増え、女性が都市に進出することによって次第に解体されていった。

 

自明と思われていた階級の区別が脅かされ、社会的地位を守ってくれる壁も揺らいでいる。当時の多くの論者にとって、このことは都市生活そのものが文明社会への脅威となることを意味していた。ウィルソンによれば、「都市生活に下される審判の試金石」になったのは「女性をめぐる状況」だった。だんだんと拡大する女性の自由は、セックスワークから自転車に乗ることに至るまで、あらゆる場面でモラルパニックを引き起こすようになったのだ。*3

 

エリザベス・ウィルソンは、ヴィクトリア朝時代のロンドンでは(原文ママ)女性が街で人目に触れるようになったことで引き起こされたモラルパニックについて論じている。よく知られているように、<公共の女(パブリックウーマン)>といえばセックスワーカーの古くからある婉曲表現である。まともな地位のある女が貧者や娼婦と勘違いされるかもしれないという憂慮はきわめて重大に受け止められ、そのため女には夫、兄弟、父親、年長の女といった付き添い人が必要だ、ということが改めて強く主張されることになった。*4

 

従来の淑女=女性像から逸脱した女性が都市へ社会進出することによって不必要に危機感が扇動され、従来の規範へ従属させるよう引き戻す、という揺り戻しが歴史的に繰り返されてきたのである。

 

ところで、モラル・パニックという概念はスチュアート・ホールに由来している。ホールの場合、この現象は「戦後合意に基づく福祉国家の危機が進展するなかで人々が感じていた社会不安や恐怖感の原因を、社会体制の危機そのものではなく逸脱的集団に転嫁し、当該集団を取り締まることで一時的な安定を得ようとする現象」として捉えられている*5。つまり、後期近代のモラル・パニックは単に社会不安を煽るだけでなく、福祉国家の再編と新自由主義の台頭を時代背景とした統治戦略に組み込まれたものということができる。

 

マクロビー=ソーントンの論文はこのホールの概念を引き継いだものであり、後期近代におけるモラル・パニックの変容はマスメディアの拡大と多様化に原因があると述べている*6。これらの議論を踏まえれば、SNS上のセックスワーク差別/トランス排除のモラル・パニックは、グローバルな極右ネットワークを主体とする、ジェンダーなど既存の秩序・規範を強化し再編する過程のなかに位置付けられたものと認識すべきではないだろうか*7

 

世界的な反動を前にしてフェミニズムは岐路に立たされている。この情勢下でカーンが重要視するのが、インターセクショナリティを軸としたフェミニズムだ。『フェミニスト・シティ』のなかでカーンが語るのは<夜を取り戻せ>の記憶である。これは1970年代半ばに北米で発祥したデモで、「女性にはいつでも、街のあらゆる場所に、自信をもって安全に立ち入る権利がある」ということを強く訴えたものだった*8

 

トロントのウェストエンドの少女だった私には、チャーチ通りのゲイ・ヴィレッジより東側にはほとんど縁がなかった。だからデモ行進で街の東に足を踏み入れるのはわくわくするような出来事だった。一人では決して立ち入ることのなかった場所だ。当時は土地勘がなかったので、どこをどう歩いたのかはよく覚えていない。覚えているのは、デモ隊がトロントの有名なストリップクラブのひとつの前で足を止めたことだ。クイーン通りとブロードビュー通りの四つ角に近い <ジリーズ>だったと思う。そのときは、果たしてこのデモではセックスワーカーは排除されているのか、それとも、彼女たちもまた私たちが夜をその手に取り戻そうとする女性たちとして想像されている人びとの一部なのだろうか、という疑問が頭に浮かぶことはなかった。当時の私は、一九九〇年代の<夜を取り戻せ>をとりまく大きな政治的状況を把握するにはまだ未熟で、興奮してばかりの物知らずだった。そのころフェミニズムではいわゆる「セックス・ウォーズ」、つまりアンドレア・ドウォーキンやキャサリン・マッキノンらの反ポルノグラフィ・反暴力運動と、性の解放に肯定的な第三波フェミニズムの対立が最高潮に達していた。<夜を取り戻せ>はフェミニズムのアンチ・セックス政治運動の最たるものであり、それを売春やストリップ、ポルノと いったセックスワークに携わる女性の役割を認められない狭量さの現われと見なす者もあった。(中略)残念に思っているのは、<ジリーズ>の前で声を張り上げていた私がそうした状況を何ひとつ意に介していなかったことだ。*9

 

フェミニスト・デザインとマテリアル・フェミニズム

 

本書を読んで気付かされたのが、ドロレス・ハイデンの重要性である。筆者はトランス排除や現在進行形で襲撃が続けられている渋谷区によるジェントリフィケーションの問題について、「空間」というテーマからこれを捉え直したいと考えていたところだったのだが、その際にマテリアル・フェミニズムの潮流を参照しなかったのは不覚であった*10

 

ドロレス・ハイデンはフェミニストの建築家で、アメリカの建築や都市計画に関する書籍を多数執筆している。ハイデンは、男性による(主に女性が担う)家事労働の経済的な搾取が、男女間で不平等があることの根本的な原因であると主張したアメリカ合衆国フェミニストを「マテリアル・フェミニスト」と呼んでいる*11

 

ハイデンはまた、超高層建築には男性的な権力や生殖能力のファンタジーが反映されていると批判したことでも知られている。

 

ハイデンによれば、超高層オフィスビルは「棒、オベリスク、尖塔、柱、時計塔といった歴史上の男根的モニュメントの系譜」に連なるもので、建築家は基部や柱体や頂部といった[訳注:いずれも建築用語だが、英語では男性器の部位を示す卑語としても用いられる]単語を使い、まっすぐ上に突き出してスポットライトから光を夜空に射出(筆者注:原文は傍点部で強調)するビルを構想してきた。ハイデンは、超高層ビルの男根的ファンタジーの陰には建設労働者の事故や、破産、火災、テロリズム、構造設計の不備による倒壊といった資本主義の暴力性が隠されていると述べる。*12

 

ハイデンの主著の一つに『家事大革命』という本がある。ハイデンは本書で失われたマテリアル・フェミニストの伝統を発見、再評価しており、そこには早期のフェミニストによるユートピア的構想のほか、現実に実践された住宅設計やコミュニティについての詳細がまとめられている。

 

 

フェミニストになる」ことは他者と連帯できることを担保しない

 

本書において、実践的な面で最も重要なのは4章だろう。特に4-3「アクティヴィズムにおけるジェンダー」から4-5「行動が教えてくれるもの」までの文章は、何らかのかたちで社会運動に関わる人は絶対に読んでおくべきだと思う。デモ行進の途中で託児所へ子どもを迎えに行くために隊列を離脱する際に抱いた葛藤の描写は筆者自身の経験からも共有できるものだった。持続的な社会運動を形成していくための課題として運動関係者には受け止めてほしい。

 

近年のTwitterでは「〇〇に連帯します」というようなハッシュタグで様々な問題の渦中にいる人や団体を応援するということが流行っている。しかし、ハッシュタグを使って発信している人のなかには、「連帯する」と宣言することが必ずしも問題に巻き込まれた人々と連帯できるわけではない、ということを理解できているか疑問に思われるような人がいることも少なくないと感じている。少し長くなるが、カーンの記述を引用したい。

 

学生、アクティヴィスト、教員、そして研究者として過ごしてきた年月で私が学んだのは、フェミニズムと都市におけるアクティヴィズムの間には緊張関係があり、ときには反目も生じるということだ。私は、自ら反暴力の抗議行動に参加して逮捕された時点では異議申し立てとはいかなるものかを何も知らなかった。フェミニストになる」だけで連帯できるのだと思っていた。 運動における断絶がどこまで大きなものになりうるかを本当に理解したのは、逮捕された後のことだ。私を含め、逮捕され、騒ぎを起こした嫌疑で起訴された二十名ほどのメンバーは今後の方針を話し合うために会合をもつことを求めた。 テレサと私はトロント大学の学生宿舎にある共用スペースを使えたので、大きな場所を提供することができた。 変な匂いのするカーペットやバネ入りのソファのある部屋で、テレサや私にとっては古くさくて幾分みすぼらしい部屋だった。ところが、年長のアクティヴィストの中にはそれが豪勢な石造りの建物で、大きな暖炉やハードウッドの床には特権意識がにじみ出ているという者があった。彼らは正しかった。私はそれまで、その部屋を彼らのような目で見ることができていなかったのだ。 テレサと私はそのとき、自分たちは彼らにとって完全に信用するには値しないということを悟った。

こうしたことを含めて、年齢や階級や人種の違いは鋭い対立に発展しがちだった。ある者は、司法制度そのものが階級差別的・人種差別的で家父長主義的であり、司法への協力は極力拒むべきだと主張した。かと思えば、まだ未成年なので両親の意向が問題になるメンバーもいた。あるいは、次の展開にかける時間を優先するために、最小限のエネルギーで起訴に対応すべきという者もいた。どの立場もそれなりに筋が通っていた。ところがその対立は、抗議の計画や実行の際に感じていたお互いへの誇りと団結をショッキングなほど急激に崩壊させた。女性学を学ぶ学生であることは、単純に他のフェミニストと同じ側から社会変革のコミットメントに身を投じる仲間とは見なされず、場合によっては不信の原因にもなると知ったのもこのときだった。自分の受 けてきた教育がフェミニズムの社会運動のプラスにならないとは考えたこともなかった。ぐらぐら揺さぶられる思いがしたが、私にとってそれは同時にインターセクショナリティについて学ぶ機会でもあった。*13

 

SNS上で発信活動を続けているフェミニストのなかで、このような社会運動の緊張関係を意識している人がどのくらいいるのだろうか。つまり、何かを訴えたり誰かとつながろうとするとき、本当に必要なのは特定の知識や素朴な変革意識ではなく、適切な距離を保った緊張感のある他者との関係性である、ということを果たしてどれだけの人が理解しているのだろうか、ということである。

 

カーンはまた、デザインで社会問題のすべてが解決するわけではない、ということも強く主張している。どれだけ「安全」な空間を創ろうとデザインを考えたとしても、それだけで資本主義や家父長制の矛盾は解消されない。「フェミニスト・シティ」を築くために最低限求められることは、他者の声を聞くこと、それも声を上げ続けてきたのに「声を上げた」とみなされないような立場に置かれた人の声を聞く、というようなインターセクショナルなアプローチといえるだろう*14

 

翻訳について

 

最後に、翻訳の問題について少し触れておきたい。訳者の東辻さんはレベッカ・ソルニット『私のいない部屋』などの翻訳に関わっているとのことだが、訳者自身はフェミニズムや地理学について「門外漢」であり、『フェミニスト・シティ』の解説をほどこすには適任といえないだろうと述べている*15

 

実際、Sara Ahmedを「サラ・アハメド」と訳すくらいには昨今のフェミニズムに関する翻訳事情に疎いといえる。また、本書では専門用語が出てくる度に簡単な解説が記されているのだが、その解説が微妙なのである。

 

例えば、冒頭で紹介したモラルパニックは「社会の道徳秩序を脅かす問題に対して、大衆が懸念や恐怖に襲われること」と説明されている。この説明では、マクロビーらの指摘するメディアによる扇動の問題や、懸念や恐怖に襲われた大衆が反動を引き起こすというパニックの性質を看過しているため、社会不安をわざわざ難しい言葉で置き換えた用語という印象を与えかねない。この語だけでなく、間違いではないだろうが核心を外しているような用語の解説が随所に登場するため、訳書を読む際は注意した方がいいだろう。とはいえ、訳文は読みやすかったので誤訳等がなければ本筋に影響はないものと思われる。

 

 

 

以上、『フェミニスト・シティ』の書評を執筆した。東辻さんが「門外漢」なりに「推す」べきだと感じたように、筆者も広く読まれてほしいと思ったのでブログを書いた。インターセクショナリティをテーマとした本が出ることはとても重要なので、このような書籍の出版、翻訳が増えることを期待したい。

*1:ジョック・ヤング著、青木秀男ほか訳、『排除型社会』洛北出版、2007年、p74

*2:

www.arasite.org

*3:レスリー・カーン著、東辻賢治郎訳『フェミニスト・シティ』晶文社、p9

*4:同、p144-145

*5:牛渡亮「スチュアート・ホールのモラル・パニック論 1970年代の逸脱をめぐるメディア報道と新自由主義の台頭」社会学年報 No.42、2013年

*6:ヤング、前掲書、p76。ヤングはマクロビーらの指摘に対し、モラル・パニックの増加を理解するためにはメディアや政治家などのパニックを「供給」する側だけではなく、それを「需要」する市民の側についても検討しなければならないと批判している。反ジェンダー運動とセックスワーク/トランスジェンダーをめぐるモラルパニックを例にすると、「需要」側として主に当てはまるのは、喧伝された偽りの”危機”に不安を感じて疑うことなく差別扇動に加担する極右フェミニストやシス女性だろう。

*7:今日のセックスワーク/トランスジェンダーに対するモラル・パニックについては以下の論文を参照されたい。

www.jstage.jst.go.jp

また、一般社団法人colaboに対する苛烈なバッシングも、ジェンダー秩序の再編過程という枠組みのなかに位置付けることができるだろう。しかし、colabo関係者は国内外の極右フェミニストとのつながりが強く、バッシングに対する一部の対抗勢力自体が反動であるという複雑な構図ができてしまっている。筆者は、誰が敵でどっちの味方につくか、というような二項対立的な構図を「偽の対立」構図だと考えているので、敵味方の立場性を強調する構図を拒否しつつフェミニスト・バッシングに対抗するオルタナティブな勢力の形成を模索する方が重要なのではないかと思う。

*8:カーン、前掲書、p175

*9:同、p175-176

*10:ジェントリフィケーションは本書で語られる主要なテーマであるが、ホームレス状態の人が被る問題と直接に結びつけて論じていないところが気になった。

*11:ハイデン著、野口美智子ほか訳『家事大革命』勁草書房、1985年、p3

*12:カーン、前掲書、p26

*13:同、p199-200、太字は筆者の強調

*14:原文では「いちばん弱い立場にある者の考え方や必要とするものを出発点にしたインターセクショナルなアプローチ」(p 240)と書かれているが、「いちばん弱い立場」という表現に筆者は同意しない。誰が「いちばん弱」くて誰が真に助けられるべきなのか、という問題設定では結局、助けられるべき人物像の序列化を招いてしまい、「弱い立場」とされた人々の社会的な位置を固定化してしまうからである。このような「真に弱い立場」の声を聞くというようなアプローチこそ、インターセクショナルなアプローチからは遠い立場ではないだろうか。

*15:同、p257

TGJPのハラスメントに抗議します

元々この記事は東京トランスマーチの参加報告として書こうとしていたが、趣旨を変えざるをえなくなった。

 

先日行われたトランスマーチに知人とともに参加した。これまで参加したデモでは一番長く時間をかけて歩いたと思う。10km以上の距離を行進したのでさすがに足が疲れてしまった。

TOKYO TRANS MARCH 2022 パンフレット

TOKYO TRANS MARCH 2022 パンフレット

主催者発表では1000人以上の参加があったといい、実際、それほどの人が集まっていたと思う。そのため、行進の中にいるとかなりの高揚感があり、道路脇から行進を応援する人や、自ら側道に出て参加者を応援する人もいた。

行進中の写真。バスタ新宿前を通る甲州街道の新宿駅南口側1車線を占拠し4~6列になって行進中。奥に新宿ルミネ1や新宿駅(南口)がみえる。

新宿二丁目付近を通過中。トランスマーチのパンフレットやプラカード、ノンバイナリーフラッグを掲げて行進する人がみえる

東京トランスマーチの様子

ビルの中から窓越しにエールを送る人々

行進参加者がデモにエールを送る。この人は手に周司あきら『トランスジェンダー男性学』や高島鈴『布団の中から蜂起せよ』、ショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』を掲げている。

デモ行進にエールを送る人々

 

今年のデモも無事成功してよかったね、で終われば何よりだったのだが、そうならなかったのが残念である。

 

周知の通り、デモの運営に関わったボランティアから主催者側のハラスメントの告発があった。それから2週間ほどして運営サイドからの’調査’内容が発表されたのだが、この内容がたいへんひどかった。臆面もなく文書が公開されているのでリンクは貼らない。みたい人は各自で確認してほしい*1

 

この文書では、運営側が「ハラスメントの定義」なるものを持ち出してハラスメントはなかったと述べている。ところで、「トランスの定義」をトランスジェンダーの当人に聞くという嫌がらせがトランス差別をする人間の間で確立している。そんなくだらない嫌がらせの意味について親切に解説する気はない。しかしながら、一つだけ言えることは、嫌がらせやハラスメントが起こった際に「定義」を持ち出すことはその訴えを無効化する意図の下でしばしば行われる、ということである。ご丁寧に厚労省という国の機関の基準を借用して訴えを無効化しようとする振る舞いは、トランスの定義を聞く嫌がらせを続けるセクシストのそれと何が違うのであろうか。

 

そもそも、今回のデモは開催前から不安要素が大きかった。デモ開催前に運営は警察が人数制限の要求を突きつけてきたので人数把握のために参加申し込みをしてほしいと発表していた。今ここで警察と争ってしまうとデモ開催自体が危ぶまれるからできる限りの交渉をやっているとも。

 

 

 

運動なめとんのか?

 

 

 

法的根拠もないことは運営もわかっているのに、そこに動揺してすぐに妥協しようとするのは違うと思う。以前のブログで妥協を許さない左翼の問題について書いたが、今回のそれは明らかに度を越している。そんなゴミみたいな要求を突っぱねられないことがもうダメだし、それでデモが開催できなくなってもいいじゃないか。デモ開催中止に対する抗議の集会でもやればオルグも成功しただろう。差別に反対することよりデモ開催自体が目的になっていては本末転倒だ。反貧困運動の旗手だった湯浅誠の変節を想い出す。

 

何より許せないのは、主催者が参加者のことを信じていないということである。500人集まるか、750人集まるかというところで右往左往して、蓋を開けてみれば1000人以上集まったと。とんだ茶番劇だ。なぜ仲間のことを信じられないのか。仮に失敗したとしても、それはすべて警察が悪いのだから何も恥じることはない。そもそも警察とのやりとりをなぜ一人でやっているのか。そんな大事な交渉を一人でやるから思考も保守的になるのだ。国家権力との交渉が孤立している事態そのものが仲間を信じていないという何よりの証明ではないのだろうか。

 

 

いずれにしても運営の開き直った態度は許されるものではないし、告発を行なったボランティアの方々の心境は察するにあまりある。とはいえ、ボランティアの方たちに連帯する”仲間”もいる。デモの主催に関わった「ありえないデモ」もそうだ。

 

 

ありえないデモも運営から尻尾切りのような扱いをされて不憫だと思う。しかしながら、そんなぞんざいな扱いさえものともしない連帯の萌芽がこの運動にはある。先日わたしは12月2日のありえないデモに参加した。寒いなかの開催ではあったが、決して少なくない人が集会に来ていた。わたしは体裁や国家権力の機嫌を気にするような運動より、地道にラディカルな活動を続ける運動を好む。

 

ハラスメントの問題に対しては抗議を続けつつ、わたしは前を向きたい。ハラスメントに関する取り組みについて素晴らしいガイドラインが公開されたので紹介しておきたい。

 

 

 

 

 

ちなみに、トランスマーチ参加者にはフロート別にリストバンドが配られていた。筆者はありえないデモの隊列に加わったので黄色のリストバンドをもらった。日本においてイエローリストバンドは障害のある人びとの社会参加を推進する運動のシンボルでもある。内閣府は12月3日の国際障がい者デーから9日を障害者週間と定めている。すべての人に、ハラスメントや差別のない社会を。

 

トランスマーチ参加者のリストバンド。輪っかにした黄色い紙を腕に巻き付けている。

トランスマーチ参加者のリストバンド

 

*1:文書の公開後、Twitterで相互フォローだった方がアカウントを消されてしまった。筆者は今後ある書籍を執筆、出版したいと考えており、その方に直接献本できればと考えていたのだが連絡先を聞くこともできなかった。残念である。

 

また、あの文書が公開された後にTGJPに支持を表明する人が多かったのも残念だった。プレカリアートユニオンの稲葉さんも支持されていた。完全に余談なのだが、稲葉さんが支持を表明した背景は理解できる。DMUの件があったからだ。今回の件はDMUとは全く性質の異なるものだったのだが、あの事件を経由すると運営の支持にまわる気持ちはわかってしまう。しかしながら、やはりその見極めを誤ってしまったことは残念であり、遅くなってもいいから撤回する日が来てくれることを願うばかりである。

美竹公園強制封鎖に対する抗議行動に参加しました

美竹公園強制封鎖

 

2022年10月25日(火)早朝6時半頃、渋谷区が区立美竹公園を強制封鎖しました。

 

www.city.shibuya.tokyo.jp

 

同公園では炊き出し活動が24年間続けられており、公園内で寝泊まりする野宿者も数多くいました。しかし、渋谷区は公園内にいた野宿者に一切の予告も、事前の声かけもすることなく突如として封鎖を強行し、公園内のトイレや水道も使用できなくしました。

 

区の行動が異様なまでに敵対的、暴力的だったこともあり、封鎖直後から区への抗議が殺到し、この問題が瞬く間に広まりました。抗議の甲斐もあって現在はトイレや水道への水の供給が再開され、トイレ清掃も復活したようです。しかし、業者によるゴミの回収は再開されておらず、公園周囲も未だ仮囲いされたままで、野宿者の生活は依然として脅かされています。

 

このような動向のなか、公園の強制封鎖に対する抗議活動の呼びかけがなされたため、これに参加することにしました。

 

 

行動当日、参加者は次の内容を区に抗議することで合意しました(傍線部、強調筆者)。

 

美竹公園の強制封鎖・野宿者追い出しに抗議します
  1. 長谷部健区長は強制封鎖、人権侵害について公式に謝罪してください。公園利用禁止の告示(渋谷区告示第190号)は、長谷部区長名で25日当日の朝に出されています。長谷部区長には、今回の暴挙に直接の責任があります
  2. 福祉政策を道具にした野宿者追い出しはやめてください。強制封鎖で閉じ込めた状態での「案内」は脅迫・強要です。
  3. 生活の拠点の出入りを封鎖し、生きる場所をなくすことは、今後二度と行わないでください。
  4. 炊き出し活動の継続をおびやかす妨害行為はやめてください。

 

抗議行動① 無視を決め込む公園課

渋谷区役所

渋谷区役所

 

当日はまず公園課に抗議をしに行きました。課長は出てきませんでしたが代わりに主査が対応し、最終的に抗議文を渡して終了しました。

 

実は美竹公園は2012年にも強制封鎖されたことがありました。その時の区の担当者も同フロアにいましたが、抗議行動参加者を一瞥することもありませんでした。フロア内に抗議の声が響き渡っているにもかかわらず、他の職員も無視を決め込む状況で異様な空気が流れていました。

 

抗議行動② まちづくり三課:行政による挑発と盗撮

 

次にまちづくり三課に行きましたが、当日の行動でここが一番揉めました。

 

まちづくり三課は美竹公園を含む渋谷区一丁目共同開発事業を担当しています。この事業では「創造文化教育施設」や「多様な都心居住を推進する施設」など民間複合施設の建設が予定されているそうですが、野宿者排除が前提とされているジェントリフィケーション政策*1であり、「多様性」も何もあったものではありません。

 

窓口に行くと、課長は打ち合わせのため不在と言われました。緊急のため連絡を取るように要求していたところ、事業と関わりのない、まちづくり二課の職員が抗議行動参加者に挑発を入れ始めたのです。

 

当然、二課の職員は公園封鎖や共同開発事業について何も知らないため「わからない」「答えられない」と繰り返していましたが、抗議参加者が職員に引き下がるよう言ってもその場を離れず、何度も話し合いを妨害しました。

 

さらに、フロア奥のブースにいた人物がスマホ抗議参加者を盗撮したため、すぐに抗議しその人物に出てくるよう要求しました。盗撮した人物はブースの衝立に隠れて出てこず、窓口の職員も盗撮の問題に取り組もうとしませんでした。

 

やむを得ず、一部の行動参加者が窓口内に入りブースまで行こうとしましたが、なんとそこで打ち合わせ中のはずだったまちづくり三課課長が登場し「廊下に出てください!」と大声で連呼して抗議者を制止しようとしたのです。法律上、公務員は肖像権がないため職員を撮影しても何も問題はありませんが、渋谷区は職員への撮影を禁止するだけでなく市民への盗撮を平然と行う違法行政窓口のようです。

 

結局、盗撮者は最後まで表に出てくることなく、三課課長も抗議文を受け取ったことで盗撮の件をうやむやにしました。今後も渋谷区に対する抗議は続くと思われますが、公園強制封鎖だけでなく盗撮の件も抗議していきたいです。

 

ところで、いずれの窓口も抗議について事前に「アポを取る」よう言ってきました。しかし、そもそも区による公園封鎖自体が「アポを取る」ことなく行われたものです。行政の都合を優先した恣意的な運用で行われる人権侵害を許すことはできません。

 

抗議行動③ 区長室フロア

 

先述の通り、今回の美竹公園強制封鎖は渋谷区長に直接の責任があります。そのため、区長に直接抗議文を渡そうとしましたが、区長室のある「企画・総務」フロア前に警備員が3名、後に追加で投入された2名を含む5名の警備員が窓口への立ち入りを封鎖していました。区長は出てきませんでしたので、職員に抗議文を渡し区長に受領するよう求めました。

 

ここでも警備員が撮影をする参加者を制止しようとしてきましたが、抗議参加者が中に入れないことをいいことにフロア内の職員はこちら側を撮影し記録しようとしていました。また、エレベーター近くに私服警察がおり、抗議行動に対する警戒を強めていたようです。

 

区長宛の抗議文を渡した後、渋谷区役所前で街宣活動を行いました。ビラまきをしたところチラシを受け取ってくれる人も多く、公園封鎖に対する社会的な関心が広がっていることを確認しました。

「渋谷区がまたもやだまし討ち!! 出入口・トイレ封鎖 水道止め 野宿者排除を許さない」と書かれたプラカード

「渋谷区がまたもやだまし討ち!! 出入口・トイレ封鎖 水道止め 野宿者排除を許さない」と書かれたプラカード

渋谷区役所前抗議行動。区役所前の道沿い両端にプラカードを掲げて抗議、街宣、ビラ配りを行う

渋谷区役所前抗議行動

 

抗議行動④ 福祉事務所:「ハウジングファースト」が追い出しの口実に

 

最後に、区役所から少し離れた場所にある福祉事務所へ移動し抗議しました。25日当日朝7時半頃には同事務所の職員も現場にいたらしく、渋谷区の福祉事務所は今回の強制封鎖の共犯者といえます。

 

渋谷区は公園封鎖に対し、次のような野宿者、炊き出し活動参加者有志に敵対的な文書を公表しています。この文書で区は公園内にいた人たちに「丁寧にお声かけをさせて」いただいたとしていますが、当日公園内に居合わせ今回の抗議行動に参加した人は「丁寧な声かけ」など何もなく強制的に追い出されたと証言しています。

 

www.city.shibuya.tokyo.jp

 

公園封鎖に関わる福祉事務所の問題のポイントは生活保護」「ハウジングファースト」を追い出しのための手段にしている点です。福祉事務所にとって野宿者は「福祉を受けるよう声かけをしているにもかかわらず公共スペースへの起居を続ける不法占拠者」という存在として認識されているようです。今回対応した職員は野宿者の追い出しについて、公園にいた人たちの「意思を尊重」したと「今でも思っている」と言っていましたが、圧倒的な暴力を背景にした「意思の尊重」は絵空事と言わざるを得ないでしょう。

 

抗議に参加した人からは「あなた(福祉事務所)がトイレ封鎖を止めることができたんじゃないですか」という声も聞かれました。野宿者の追い出しだけでなく公園のトイレや水道までも封鎖したのですから、公園を生活の拠点にしている人々に物理的・身体的な苦痛を区や福祉事務所は与えたのです。そのような公共空間の占拠を、福祉事務所は「福祉を受けない野宿者の自己責任」として正当化しています。

 

なお、今回の行動に関わった「ねる会議」がこの日、声明を出しました。公園再開発の問題に関心のある方に是非読んで欲しいです。

minnanokouenn.blogspot.com

 

ジェントリフィケーションは家父長制である

 

行政による都市空間の支配的な占拠は社会的なマイノリティ属性を持つ人々に深刻な被害を与えます。低所得の若年シングルマザー、移民/有色人種の母子世帯、障害やメンタルヘルスの問題を抱える単身女性、DVサヴァイヴァーセックスワーカー、LGBTQIA+といった人々は特に影響を受ける主体となるでしょう*2。村上潔は、これらの人々が交渉、抗議して問題を解決するためのサポートを行うフェミニスト・グループのアプローチを研究し、ロンドンの草の根フェミニスト・グループ<ロンドン・ラティンクス[The London Latinxs]>の提言を紹介しています*3。このグループはアピールのなかで次のような指摘を行なっています。

 


  • ジェントリフィケーションは人種差別である。
  • ジェントリフィケーションは家父長制的である。
  • ジェントリフィケーションは階級差別である。
  • ジェントリフィケーションは反コミュニティ的である。

 

ジェントリフィケーションをこのように捉えることで、①家父長制を基盤とした社会構造の暴力性・差別性を、他の構造的差別とあわせ総合的に捉え、それに対峙する運動体を構築することができます。また、②ラディカルな直接行動に参加し、自らの状況を知らしめ、連帯の輪を拡張し、③ヴァルネラブルな(=傷つきやすい)身体・精神を相互にケアしつつ、生活の条件を獲得することも可能になります*4

 

村上はフェミニスト的アプローチを用いた反ジェントリフィケーション運動について、④物理的・経済的な面での解決にとどまらず、必要十分な再生産の条件を獲得することを重視し、⑤運動体やメンバー個人、コミュニティの自律性を重視して運動を継続していると評価しています。今回の抗議行動も、特定の上部組織を持たない人々が自律的、組織的に動いて行なったものです。つまり、美竹公園強制封鎖への抗議は、BLMに連なるような水平的な反家父長制運動でもあるのです。そしてこれを持続的なものにしていくためには、互恵的なケアとわたしたち自身の再生産が不可欠です。

 

BLMのネットワークを通して、保釈システムの改正の実現化に向かって全力を尽くす。これはおそらく私個人が最も重要視している課題で、即ち[法律制度に巻き込まれる]人々の"人間性"を尊重する新しい運動文化を創立し、それを実行に移そうと励む。そしてその活動は、差別を受ける人々のために、そして差別を受けている人々と一緒になって行われるのだ。*5

*1:ジェントリフィケーションとは、資本が都市を支配しようとする時に用いる戦略のひとつであり、「私たち都市に生きる者がともに生活するなかでゆっくり作り上げてきた風景や雰囲気、空間のあり方や利用の仕方、そこから生まれるあらゆる記憶を、たくみに利用しながら剥奪」するものである。詳細はリンクを参照。

antigentrification.info

*2:村上潔「ジェントリフィケーションに対抗するフェミニスト・アクティヴィズム ロンドンにおける多様な実践から」『福音と世界』2021年8月号、新教出版社

*3:

antigentrification.info

*4:村上前掲論文。①〜⑤は村上の整理

*5:パトリース・カーン=カラーズ+アーシャ・バンデリ、ワゴナー理恵子訳『ブラック・ライヴズ・マター回想録 テロリストと呼ばれて』青土社、p302.

活動家のためのテキスト① レーニン『共産主義内の「左翼主義」小児病』

変革や連帯のためにアクションを起こしたり、組織やグループを結成、運営したりと、何らかのかたちで社会運動に関わる人が読まなくてはならないテキストは無数にある。

そのなかから、私(わたし)が是非読んでほしいと思うテキストをいくつか紹介したい。

 

今回取り上げるのはレーニン共産主義内の「左翼主義」小児病』(以下、『左翼小児病』)である*1

 

執筆の背景

1917年の十月革命ボリシェビキケレンスキー率いる臨時政府に勝利し、1919年には第三インターナショナル(=コミンテルン)を設立した。

 

『左翼小児病』は、1920年7月19日から8月7日にかけて開かれたコミンテルン第2回大会のためにレーニンが執筆した著作である。レーニンは同年4月から5月の間にこの著作を執筆し、その発行が大会までに間に合うよう印刷の行程にまで気を配ったとされる。元々はロシア語で書かれたが、7月にはドイツ語、フランス語、英語版のものも出来上がったので、熱を入れて作ったテキストがより多くの人々に読まれることになって本人としては感慨深かっただろうと思う。

 

レーニンはこの著作でロシア革命を成し遂げたボリシェビキ党の経験を総括している。十月革命の勝利までに至る闘争の歴史を6つの段階に分け、各段階での党の戦術を後付けて、革命の勝利とその維持が長期にわたる周到な準備、豊かな経験の積み重ねのなかから生み出されたことを強調した*2

 

そのうえで彼は、ボリシェビキが労働運動のなかのどのような敵と闘い、成長し強くなってきたのかと設問し、その答えとして「日和見主義」と「小ブルジョワ革命性」の二つを挙げている。前者の代表は修正主義者のベルンシュタインで、要するに資本主義や帝政の打倒を掲げない立場を指すが、直接的にはおそらくカウツキーなどを指すと思われる。カウツキーについて説明しておくと、彼はエンゲルスから直接指導を受けたマルクス主義の正当な後継者で第二インターナショナルの指導者であった。1914年に起こった第一次世界大戦に際してカウツキーが戦争を全面的に支持し、これが第二インターナショナルを崩壊させたとしてレーニンは『国家と革命』のなかで彼への批判を展開した。

 

ブルジョワ革命性

 

「左翼小児病」で批判に重きが置かれるのは後者の「小ブルジョワ革命性」である。レーニンはこれを次のように説明している。

 

この小ブルジョワ革命性は、いくらか無政府主義に似ているか、または、それから何かを借りてきたものであり、プロレタリアの一貫した階級闘争の条件と要求からは、どの本質的な点でも、それている。小所有者、小経営者(多くのヨーロッパ諸国では、非常に広範な多数の分子を含むタイプ)は、資本主義のもとでは、たえず押えつけられており、非常にしばしばその生活は信じられないほどひどくまた急速に悪化し、零落していくので、たやすく極端な革命性にうつっていくが、忍耐、組織性、規律、確固さをあらわすことができないということは、マルクス主義者にとっては、理論上十分に確認されていることであり、ヨーロッパのすべての革命と革命運動の経験によって十分に裏書されている。(傍線部、強調筆者)*3

 

後に「左翼急進主義」や「極左冒険主義」のレッテル張りに利用されることになるテキストだが、やはり批判の核となる部分から学ぶべきことはあるのではないかと思う。今日的な意味を模索するなら太字と傍線部で強調した箇所が該当するのではないだろうか。

 

なお、ここでは間接的に無政府主義に対して批判がなされ、上の箇所のすぐ後でも詳細に批判されているのでアナーキストにとっては不満かもしれない。ただ、あくまで(当時の)マルクス主義者とアナーキストの立場の違いを踏まえたものなので、今日的な意義を考えるのであればそこは大きな問題ではないと思う。この著作は思想信条の立場で判断するのではなく、むしろここで批判されている内容がマルクス主義であれアナーキズムであれ「左翼」全体の問題として向き合うべきものだと筆者は考える。

 

妥協を許さない”未熟”さ*4

 

第二回コミンテルンまでの過程において、レーニンボリシェビキ内部「左派」の態度に誤りがあったと指摘した。例えば、1908年にボリシェビキ左派は反動的な議会に参加することを拒絶し、また、1918年に革命政権がドイツと結んだブレスト-リトヴスク講和条約を「原則的にゆるすことのできない」妥協であるとした。彼はそれぞれの問題点を説明した後、次のようにまとめている。

 

結論は、はっきりしている。妥協を「原則的」に否定し、どんなものであろうと、妥協一般をゆるすことをいっさい否定するのは、児戯に類したことであり、まじめに取りあげることもできない*5

 

素朴で、まったく経験のない人々は、妥協一’般’がゆるされるべきだとみとめようものなら、われわれが相手として非妥協的にたたかっており、またそうしなければならないあの日和見主義と、革命的マルクス主義すなわち共産主義とのあいだのあらゆる境界をぬぐいさることになるものと想像している。だが、これらの人々が、自然でも社会でもす’べ’て’の境界はうつりやすいものであり、ある程度まで条件つきのものだということをまだ知らないとすれば、長期にわたる訓練、教育、啓蒙、政治上の経験や日常の経験によるほかには、彼らをたすけようがない。個々の、あるいは特殊の歴史的時機の実際の政治問題のうちで、ゆるすことのできない裏切的な妥協革命的階級にとって有害な日和見主義を体現している妥協の、もっとも主要な種類のものが現れている問題をえらびだすことができ、それを説明し、それとたたかうことにあらゆる努力を傾けるすべを知ることが重要である*6。(傍線部、強調筆者)

 

「素朴で、まったく経験のない人々」は「たやすく極端な革命性にうつっていくが、忍耐、組織性、規律、確固さをあらわすことができない」ので常に動揺し、革命性が実を結ぶことがないためにすぐに従順になり、幻想にはしる。それがはなはだしくなると「あれこれのブルジョア的な「流行」思潮に「熱狂的」に魅せられてしまう特質*7」を持っているだけでなく、原則的にどんな妥協であってもゆるされるべきではないと思っている。

 

当たり前のことですが、どんな社会活動であれ、完全に満足のいく成果が得られるようなことはほぼありません。ストライキで会社に勝利したとしても、画期的な判決を勝ち取ったとしても必ずどこかで譲らなくてはならない場面が出てきます。それをこの部分は「原則的」ではないから惜しいよねとか、頑張りが足りなかったんじゃないのとか言う権利が「左翼」のどこにあるのでしょうか。そんなこと、本人が一番わかっていて悔しいに決まっているではありませんか!!!

 

闘う当事者の崇高さ

 

話は変わりますが、私(わたし)が以前から追っていた事案がこの度和解に至ったという知らせを受けました。

 

 

この和解が画期的なのは、被害者が直接働きかけて内部規定と再発防止マニュアルを作らせた点や直接的な被害だけでなく二次加害でも慰謝料を払わせ謝罪させた点、相手の公表文を修正させ謝罪の一言だけでなく事件の概要も記述させた点にあります。

 

これほどまでに大きな成果を勝ち取ることができたのは、「素朴で、まったく経験のない」凡百存在する言葉だけの左翼どもとは異なり、本人が優れた「忍耐、組織性、規律、確固さ」を持っていたからにほかなりません。

 

事件が起きてから今日に至るまで幾年もの年月が経ってしまいました。長い時間のうち、どれほど辛く苦しい場面に本人が出くわしたことでしょうか。この画期的な和解でさえ、妥協せざるをえないと条件をのんだところがあったのかもしれません。しかし、結果をみればわかるように、その”妥協”は意味のある妥協でした。意味のない妥協はただの反動ですが、意味のある妥協はむしろ変革を前進させます。それは歴史が証明していることです。そもそもこのような闘いを強いられること自体が不当なことなのに、被害者主体のガイドラインという前例をつくるという快挙まで成し遂げたのですから、間違いなく社会変革を一歩前進させました。

 

あらゆる妥協を許すことができず忍耐力もない未熟な者たちには、闘う当事者の崇高さを見習ってほしいものです。

 

*1:指摘を待つまでもなく、自らと立場を異にする人物や思想を病人や病気に喩えることは不適切な表現である。本稿ではこの問題に立ち入らないが、思想やアイデンティティの「病理化」が差別と密接に結びついていることは注意されたい

*2:中野徹三、高岡健次郎『人と思想 レーニン清水書院、1970年、p251。なお、この本における「左翼小児病」の記述は同テキストのサマリーとして優れている。

*3:ソ同盟共産党中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所編『レーニン全集 第31巻』「共産主義内の「左翼主義」小児病」大月書店、1959年、p16-17

*4:原文では「幼稚」と表現されているが、広い意味でのエイジズムにあたる言葉である可能性もあるので"妥協"的に未熟という言葉を採用した。なお、後に登場する「児戯」「熱狂的」という言葉もベストな表現ではないかもしれないが今回は原文に沿った

*5:同、p22

*6:同、p56

*7:同、p17

明石市長を免罪するもの

「よきこと」を問題にし続ける私(わたし)が、明石市長の暴言事件についてふれないわけにはいかないだろう。

 

www.asahi.com

 

過去のブログで引用したオンライン記事が非公開になっていたことがあったので、メモも兼ねて記事内容を抜粋する。

 

兵庫県明石市泉房穂市長が8日の市立小学校の式典で、同席した市議2人に「選挙で落としてやる」などと発言していたことがわかった。2人の所属する会派が6日に泉市長に対する問責決議案を出す考えを表明していた。泉市長は「言い過ぎで不適切だった」と2人に謝罪したという。

 

市議2人は榎本和夫議長(自民党真誠会)と飯田伸子市議(公明党)。榎本議長によると、市立小学校の創立150周年の式典開始の直前、泉市長から「問責なんて出しやがって。ふざけているのか。選挙で落としてやる」と言われた。

 

飯田市議は着席しようとした際、泉市長がそばに近づき顔を寄せてきて「問責決議案に賛成したら許さない」と言われたという。

 

榎本議長は「首長として、わきまえた行動を取ってほしい」、飯田市議は「びっくりし、怖かった。あり得ない」と反発している。

 

泉市長は取材に「一言一句は覚えていないが、聞いた側がそういうのであれば否定しない。議会とは一緒にやっていきたいのになぜ問責なのか、といういらだちがあった。だが、使った言葉遣いと内容はアウトで申し訳ない」と釈明した。

 

問責決議案は、自民党真誠会や公明党など4会派が「再三の不適切な言動を指摘したが、変わらない」などとして12日の本会議に提出する予定。

 

泉市長は2019年に国道用地の買収遅れをめぐり、職員に「(建物に)火つけてこい」などと言ったとして辞職。出直し市長選で改めて当選した経緯がある。(天野剛志)

 

この件で注目すべきことは、市長の暴言そのものではなく、事件を受けた明石市長の支持者の反応の方である。泉氏は以前も市職員に暴言を吐いたことがあり、報道されるのも今回で2回目である。にもかかわらず、泉氏に市政の続投を願う人は多く、暴言を"誘発"した議員の方が悪いと被害者を責める声も決して少ないとは言いきれない。

 

明石市長を免罪するものとはいったい何なのか。それは、明石市長の加害行為が「性暴力ではなかった」ことである。筆者が事件の反応をみて思ったことは、もし泉氏のやったことが暴言というハラスメントではなく性暴力であったならば、おそらく今回の反応と違った反応が多かったのではないかということである。

 

 

ここから筆者が提示するのは、極めて大胆で挑発的な仮説である。

 

 

#MeToo運動は個々人の性暴力被害をオンライン上で告発することを後押しし、さらに性暴力があらゆる場所で蔓延していることを明るみにした。運動自体に意義があると同時に、日常生活や報道、司法レベルで性暴力問題の重大さを認識させたという点で大きな成果を出した。自衛隊所属時に受けた性被害を告発し、加害者から謝罪の言葉を引き出した五ノ井さんの活動も、#MeTooの延長線上にあるといえる。

 

mainichi.jp*1

このようにして性暴力が重大なものとして受け止められる素地を作りだしたことは大いに意義のあることだと考えられる。そして、筆者はこのことをさらに推し進めてこう考える。性暴力は被害の告発という点で"覇権"をとったのではないか、と。

 

#MeToo運動が取り上げた事件の一つに、広河隆一による性暴力事件が挙げられるだろう。この事件について詳細は省くが、聞いたところによれば広河は自身の行った加害行為を全然反省していないのだという。さらに「セクハラ報道と検証を考える会」(以下、「考える会」)なる組織が中立を装いながら広河の擁護をオンライン上で行っており、被害者への二次被害を続けている。

 

今日、広河による加害行為を表立って擁護しようとする者はいないだろう。だからこそ考える会も「報道の検証」というかたちで迂回しながら加害者の擁護をするのである。性暴力を擁護するような言動には"リスク"が伴うほど、許されないものとなっている。

 

では、明石市長の場合はどうだろう?暴言は許されない。それは一般的な共通認識であるはずだ。しかし、「市民のためにとった行動」であれば、「職務を全うするためにとった行動」であれば暴言もやむを得ないという反応は少なくない。広河は許されないが、泉は許される。両者の違いは、加害行為が性暴力であるか、ないかの違いである。

 

これは#MeToo の成果であると同時に反動であると筆者は考える。性加害の暴力性や性暴力のもたらす"傷"や後遺症が重く受け止められる素地が出来上がったことで、性暴力被害の告発はいまや神聖にして不可侵の領域と化した「告発を非難する者は人に非ず」といえるような状況にあるといっても過言ではないと思う。繰り返すようにそれは運動の成果であり、運動や告発者に責められるいわれはない。

 

ただ、性暴力被害を重く受け止める素地が作り出されたことで、告発を受け止める側の方が何においても性暴力被害者の声を優先して聞く、という姿勢をとるようになってしまい、その反動で性暴力被害を伴わない暴力やハラスメントの被害が相対的に矮小化されてしまっているのではないか、という危惧を筆者は抱いている。嫌な言い方をすれば「性暴力に反対していれば"いい人"面(左翼面)できる」状況ができてしまっているのではないか。

 

そしてこの「性暴力被害を優先して聞く」という姿勢を、活動家の側も内面化してしまっている。私(わたし)は、何が差別であるのかとか、何が暴力であるのかとか、それを決めるのは結局活動家だと思っているので(もちろん皮肉だが)、身体的接触を伴わないような暴力やハラスメント――例えば、明石市長のような「暴言」――では、性被害ほど重く受け止められることはないだろうと思っている。ましてや、加害者が「リベラル」「左翼」であるならなおさらである。「運動を分断しようとしている」「よくよく聞けばお前の方が悪いと思う」。そんな声がやすやすと想像できる。

 

これはとても深刻である。なぜなら、「性暴力に反対していれば左翼面できる」というリベラルの側の態度の延長線上にあるのがトランスジェンダーセックスワーカーへの差別だからである。

 

男性の性被害も最近では報じられることも増えてきたが、性暴力被害として報じられることが多いのは依然として女性ジェンダーの人であろう。女性(的なもの)への暴力がミソジニーと結びついていることはフェミニズムが一貫して主張してきたことでもある。狡猾な左翼はここに目をつける。「女性差別は決して許されるものではなく、女性の声、とりわけ性暴力被害に遭った女性の声は何においても優先して聞くべきものである。性暴力被害に反対するという態度をとれば女性の側に立つことができ、常に反差別の側につける=左翼面できる」!!!*2

 

狡猾な"左翼"どものいう「女性」とは他ならぬシス女性のことであり、したがってトランス女性は擁護の対象外である。こいつらはシス女性の「人権」さえ守られればそれでよく、トランスジェンダーへの差別はどうでもよいどころか、差別の存在さえ認めない。ノンバイナリーやXジェンダーなどはなおさらである。

 

さらに、固定的な女性像にとらわれる左翼はセックスワークを絶対的な性暴力とみなし労働と認めないのでセックスワーカーも差別する。セックスワーカーの主体性を否定することは「女性」からの支持を得やすく、この点でもたやすく「左翼面」することが可能である。

 

性被害の告発が"覇権"と化した。これには議論の余地があり、当然不快に思い反発する意見もあるだろう。しかし、私(わたし)は昨今の情勢をみたうえで本気でこのように考えている。実証的なところが得られればもっと精緻な理論として提示できるのではないだろうか。

 

 

最後に、社会運動の点から明石市長に対する反応の問題を述べたい。明石市長が支持されるのはその市政によるところが大きい。つまり、支持者としては「この人でなければまともな政治がなされない」と思っているから市政の続投を願うのである。

 

しかし、民主主義とは本来民衆が運営し行うものである。だから議会に送る政治家など誰でもよく、むしろ政治家は替えがきくものでなければならない*3。特定の人物に政治が依存し、政治家が「スター」化・権威化するような状況の方が問題なのである。だから泉氏の代わりとなる明石市長などいくらでもいることは強調してもしきれない。どのような政治を政治家に担わせるか、政治をどのように運営していくかという点は、社会運動の、民衆の側の課題なのである。

*1:一生の傷、だけど私の区切りに――。陸上自衛隊郡山駐屯地(福島県)に所属していた元1等陸士、五ノ井里奈さん(23)が複数の男性隊員から性暴力を受けていた問題で、関与した隊員のうち4人が17日午前、非公開の場で、五ノ井さんに直接謝罪した。午後、東京都内で開かれた記者会見で、五ノ井さんが明らかにし、「謝罪を受けた時は涙が流れました。遅いなって思いつつも、やっとこの日が来たんだというふうに、思いました」と述べた。謝罪を受けた状況について、五ノ井さんは「1時間程度、1人ずつ謝罪を受けた。加害者たちは事実を認め、何度も頭を下げ、涙を流している人もいた」と報告。3人は土下座して謝ったという。なぜ最初は加害を認めなかったかと問うたところ、「『やっぱり家族に知られたくなかった』と言う人もいれば、他の隊員をかばう(発言をした)人もいました」と話した。また、加害側から受け取ったという手紙を手に「『自衛隊で活躍したい』という(五ノ井さんの)夢を、私の軽率な行動で壊してしまい、大変申し訳ありませんでした」などと読み上げた。一方、謝罪は受けたが、加害行為が消えるわけではない。「謝罪をされたから許される問題でもないと思うし、私の傷は一生の傷なので、しっかりと自分のしたことに責任を持って、罪をつぐなってほしいと思っています」と時折考えながら話した。五ノ井さんは2020年9月に郡山駐屯地に配属されて以降、日常的なセクハラや性暴力があったと訴えてきた。防衛省は22年9月末、20年秋に複数の隊員に体を触られた▽21年8月の訓練中に宿舎で押し倒されて性的な身体接触をされ、行為を口外しないよう口止めされたりした――などの被害を認定。加害側からの直接の謝罪は、五ノ井さんが要求していた。約1時間の会見。最後に立ち上がり、こう話した。「最初は自分との闘いで、先の見えない闘いでしたが、自分を信じて、絶対うそはついていないと思って、毎日いろんなことを言われながらも、自分だけを信じて進んできました」被害を訴えてきた日々を振り返り、こう言い切った。「私が目的としていた加害者の方からの直接謝罪をもらえたことは、本当に遅かったですけれど、私の区切りとさせていただきます」五ノ井さんは22年6月に退職し、動画投稿サイトで実名を公表して被害を告発。8月にインターネットで上で集めた10万人を超える署名を防衛省に提出し、内部ではなく第三者による調査を求めていた。「ここに至るまで本当にたくさんの方のご協力を頂き、この場をお借りして、本当に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました」そして今後のこと。区切りを迎えたいま、「自分らしく」との思いを吐露した。「今後、私は被害に遭ったからこう生きなければならないとか、静かに生活しなければいけない、笑ってはいけないというわけではなく、被害者としてではなく一人の人間として、強く生きて、いろんな人を笑顔にさせたり、人のために何かできることをしたり、とにかく自分らしく生きていきたいと思います」【宇多川はるか】

*2:実際にはこのような態度こそミソジニーに基づいている。この点についてはケイト・マン『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』を熟読されたい。

*3:故に最も民主主義的な政治形態とはくじ引きである。

家事代行労働者過労死に対する不当判決を考えるにあたって

家事代行労働者の過労死認定を求める裁判の判決が9月29日に行われました。

www.tokyo-np.co.jp

 

判決は原告の請求棄却という結果に。これは労働基準法が家事労働者への同法の適用を除外していることを明記しており、労災や社会保険の対象からも排除されてしまっているためです。

 

判決の報道を受け、労働社会学者の濱口桂一郎氏がコメントを出しています。

eulabourlaw.cocolog-nifty.com

 

なぜ家事使用人に労基法が適用されないかについては、濱口氏がブログでふれている坂井博美氏の論文が参考となります。論文は以下のPDFから参照できます。

 

坂井博美「労働基準法制定過程にみる戦後初期の『家事使用人』観」

https://libra.or.jp/images/gstudy16.pdf

 

報道を受け、家事使用人の労基法適用除外の理由を含めた、家事使用人に関する事項をまとめたいと考えていましたが、”前史”としての「女中」「派出婦」の歴史、セクシュアリティ、人種などさまざまな面からの論点が多く、一つのブログ記事にまとめることが不可能であると考え断念しました。その代わり、管見の限りではこの事件に関する社会的な関心はそこまで高いものであると必ずしも言えないだろうという考えから、家事使用人に関する文献を紹介し、今後の裁判の動向と併せて読者の関心を惹起したいと思います。

 

 

日本では高度成長期に至る1960年代頃まで、「女中」と呼ばれる住み込みの家事労働者の存在は珍しいものではありませんでした。都市部を中心に存在した女中の実態や歴史を包括的に紹介した本として小泉和子編『女中がいた昭和』は第一に抑えておくべきでしょう。

 

大正から昭和前期まで女中と呼ばれていた家事労働者は、昭和30年代後半になると「お手伝いさん」や「家政婦」とも呼ばれるようになります。かつては家庭内住み込みで働く女中が多かったものの、この時期になると国の主導により家事サービスを一つの職業として確立しようという動きがみられました。通勤の家事労働者自体は大正時代、「女中払底」という女中不足の深刻化を受け開始された「派出婦」の供給事業によって登場していましたが、派出婦が女中払底を背景に家庭内の労働力不足を埋める代替的な存在であったのに対し、家政婦はプロの職業人としてにわかに注目を集める様になったのです。この移行期に書かれた小説に、松本清張の『熱い空気』があります。

 

この小説は過去4回テレビドラマ化されており、うち3度目の作品は「熱い空気 家政婦は見た!夫婦の秘密”焦げた”」として映像化されています。実はこのドラマが市原悦子主演のテレビドラマシリーズ『家政婦は見た!』の第一話とされています。

 

『熱い空気』における家政婦の表象を分析した論文に清水美知子「松本清張の小説『熱い空気』にみる家政婦像」があります。清水氏は同小説に着目する理由として、第一に家政婦が主人公に据えられており、家政婦の視点から当時の中流上層の家庭を描いた作品であることを挙げています。そして第二に、家政婦が女中に代わる一つの職業として社会で認知され始めた時期に書かれた作品であること、第三に、主人公の心理描写が巧みであることに加え、当時の社会関係や社会意識がリアリティをもって描かれていることを挙げています。つまり『熱い空気』を”社会心理の文学”として読み解くことで、当時の日本社会における家政婦の位置付けや他者からの視線を理解することができるのです。女中や家政婦に向けられた眼差しは侮蔑を含むものも少なくなく、このような蔑みや差別意識が冒頭で紹介した家事代行労働者への労基法適用除外という法的な運用にも影響していると思います。

kuins.repo.nii.ac.jp

 

余談ですが、清張と『家政婦は見た!』製作陣との間にはドラマ化にあたって確執があったそうです。その辺りの詳細は以下の論文をご参照ください。

chukyo-u.repo.nii.ac.jp

 

未読ですが、女中の社会的、文化的な表象、イメージの変遷について知りたい方には以下の本も紹介しておきます。

 

なお、家事労働者の労基法適用除外をどのように改めていくべきか、ということが(これまでも)今後も労働運動の課題となることは間違いないでしょう。そのヒントとして、米駐留軍メイドとの比較は重要ではないかと考えています。これについては別のブログ記事で書きたいところですが、先に紹介した『女中がいた昭和』における占領軍家庭におけるメイドについて書かれた章をまず読んでもらえれば幸いです。また、近年この分野の研究成果が公開された様なので、こちらも併せて紹介しておきます。

www.jstage.jst.go.jp