明石市長を免罪するもの

「よきこと」を問題にし続ける私(わたし)が、明石市長の暴言事件についてふれないわけにはいかないだろう。

 

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過去のブログで引用したオンライン記事が非公開になっていたことがあったので、メモも兼ねて記事内容を抜粋する。

 

兵庫県明石市泉房穂市長が8日の市立小学校の式典で、同席した市議2人に「選挙で落としてやる」などと発言していたことがわかった。2人の所属する会派が6日に泉市長に対する問責決議案を出す考えを表明していた。泉市長は「言い過ぎで不適切だった」と2人に謝罪したという。

 

市議2人は榎本和夫議長(自民党真誠会)と飯田伸子市議(公明党)。榎本議長によると、市立小学校の創立150周年の式典開始の直前、泉市長から「問責なんて出しやがって。ふざけているのか。選挙で落としてやる」と言われた。

 

飯田市議は着席しようとした際、泉市長がそばに近づき顔を寄せてきて「問責決議案に賛成したら許さない」と言われたという。

 

榎本議長は「首長として、わきまえた行動を取ってほしい」、飯田市議は「びっくりし、怖かった。あり得ない」と反発している。

 

泉市長は取材に「一言一句は覚えていないが、聞いた側がそういうのであれば否定しない。議会とは一緒にやっていきたいのになぜ問責なのか、といういらだちがあった。だが、使った言葉遣いと内容はアウトで申し訳ない」と釈明した。

 

問責決議案は、自民党真誠会や公明党など4会派が「再三の不適切な言動を指摘したが、変わらない」などとして12日の本会議に提出する予定。

 

泉市長は2019年に国道用地の買収遅れをめぐり、職員に「(建物に)火つけてこい」などと言ったとして辞職。出直し市長選で改めて当選した経緯がある。(天野剛志)

 

この件で注目すべきことは、市長の暴言そのものではなく、事件を受けた明石市長の支持者の反応の方である。泉氏は以前も市職員に暴言を吐いたことがあり、報道されるのも今回で2回目である。にもかかわらず、泉氏に市政の続投を願う人は多く、暴言を"誘発"した議員の方が悪いと被害者を責める声も決して少ないとは言いきれない。

 

明石市長を免罪するものとはいったい何なのか。それは、明石市長の加害行為が「性暴力ではなかった」ことである。筆者が事件の反応をみて思ったことは、もし泉氏のやったことが暴言というハラスメントではなく性暴力であったならば、おそらく今回の反応と違った反応が多かったのではないかということである。

 

 

ここから筆者が提示するのは、極めて大胆で挑発的な仮説である。

 

 

#MeToo運動は個々人の性暴力被害をオンライン上で告発することを後押しし、さらに性暴力があらゆる場所で蔓延していることを明るみにした。運動自体に意義があると同時に、日常生活や報道、司法レベルで性暴力問題の重大さを認識させたという点で大きな成果を出した。自衛隊所属時に受けた性被害を告発し、加害者から謝罪の言葉を引き出した五ノ井さんの活動も、#MeTooの延長線上にあるといえる。

 

mainichi.jp*1

このようにして性暴力が重大なものとして受け止められる素地を作りだしたことは大いに意義のあることだと考えられる。そして、筆者はこのことをさらに推し進めてこう考える。性暴力は被害の告発という点で"覇権"をとったのではないか、と。

 

#MeToo運動が取り上げた事件の一つに、広河隆一による性暴力事件が挙げられるだろう。この事件について詳細は省くが、聞いたところによれば広河は自身の行った加害行為を全然反省していないのだという。さらに「セクハラ報道と検証を考える会」(以下、「考える会」)なる組織が中立を装いながら広河の擁護をオンライン上で行っており、被害者への二次被害を続けている。

 

今日、広河による加害行為を表立って擁護しようとする者はいないだろう。だからこそ考える会も「報道の検証」というかたちで迂回しながら加害者の擁護をするのである。性暴力を擁護するような言動には"リスク"が伴うほど、許されないものとなっている。

 

では、明石市長の場合はどうだろう?暴言は許されない。それは一般的な共通認識であるはずだ。しかし、「市民のためにとった行動」であれば、「職務を全うするためにとった行動」であれば暴言もやむを得ないという反応は少なくない。広河は許されないが、泉は許される。両者の違いは、加害行為が性暴力であるか、ないかの違いである。

 

これは#MeToo の成果であると同時に反動であると筆者は考える。性加害の暴力性や性暴力のもたらす"傷"や後遺症が重く受け止められる素地が出来上がったことで、性暴力被害の告発はいまや神聖にして不可侵の領域と化した「告発を非難する者は人に非ず」といえるような状況にあるといっても過言ではないと思う。繰り返すようにそれは運動の成果であり、運動や告発者に責められるいわれはない。

 

ただ、性暴力被害を重く受け止める素地が作り出されたことで、告発を受け止める側の方が何においても性暴力被害者の声を優先して聞く、という姿勢をとるようになってしまい、その反動で性暴力被害を伴わない暴力やハラスメントの被害が相対的に矮小化されてしまっているのではないか、という危惧を筆者は抱いている。嫌な言い方をすれば「性暴力に反対していれば"いい人"面(左翼面)できる」状況ができてしまっているのではないか。

 

そしてこの「性暴力被害を優先して聞く」という姿勢を、活動家の側も内面化してしまっている。私(わたし)は、何が差別であるのかとか、何が暴力であるのかとか、それを決めるのは結局活動家だと思っているので(もちろん皮肉だが)、身体的接触を伴わないような暴力やハラスメント――例えば、明石市長のような「暴言」――では、性被害ほど重く受け止められることはないだろうと思っている。ましてや、加害者が「リベラル」「左翼」であるならなおさらである。「運動を分断しようとしている」「よくよく聞けばお前の方が悪いと思う」。そんな声がやすやすと想像できる。

 

これはとても深刻である。なぜなら、「性暴力に反対していれば左翼面できる」というリベラルの側の態度の延長線上にあるのがトランスジェンダーセックスワーカーへの差別だからである。

 

男性の性被害も最近では報じられることも増えてきたが、性暴力被害として報じられることが多いのは依然として女性ジェンダーの人であろう。女性(的なもの)への暴力がミソジニーと結びついていることはフェミニズムが一貫して主張してきたことでもある。狡猾な左翼はここに目をつける。「女性差別は決して許されるものではなく、女性の声、とりわけ性暴力被害に遭った女性の声は何においても優先して聞くべきものである。性暴力被害に反対するという態度をとれば女性の側に立つことができ、常に反差別の側につける=左翼面できる」!!!*2

 

狡猾な"左翼"どものいう「女性」とは他ならぬシス女性のことであり、したがってトランス女性は擁護の対象外である。こいつらはシス女性の「人権」さえ守られればそれでよく、トランスジェンダーへの差別はどうでもよいどころか、差別の存在さえ認めない。ノンバイナリーやXジェンダーなどはなおさらである。

 

さらに、固定的な女性像にとらわれる左翼はセックスワークを絶対的な性暴力とみなし労働と認めないのでセックスワーカーも差別する。セックスワーカーの主体性を否定することは「女性」からの支持を得やすく、この点でもたやすく「左翼面」することが可能である。

 

性被害の告発が"覇権"と化した。これには議論の余地があり、当然不快に思い反発する意見もあるだろう。しかし、私(わたし)は昨今の情勢をみたうえで本気でこのように考えている。実証的なところが得られればもっと精緻な理論として提示できるのではないだろうか。

 

 

最後に、社会運動の点から明石市長に対する反応の問題を述べたい。明石市長が支持されるのはその市政によるところが大きい。つまり、支持者としては「この人でなければまともな政治がなされない」と思っているから市政の続投を願うのである。

 

しかし、民主主義とは本来民衆が運営し行うものである。だから議会に送る政治家など誰でもよく、むしろ政治家は替えがきくものでなければならない*3。特定の人物に政治が依存し、政治家が「スター」化・権威化するような状況の方が問題なのである。だから泉氏の代わりとなる明石市長などいくらでもいることは強調してもしきれない。どのような政治を政治家に担わせるか、政治をどのように運営していくかという点は、社会運動の、民衆の側の課題なのである。

*1:一生の傷、だけど私の区切りに――。陸上自衛隊郡山駐屯地(福島県)に所属していた元1等陸士、五ノ井里奈さん(23)が複数の男性隊員から性暴力を受けていた問題で、関与した隊員のうち4人が17日午前、非公開の場で、五ノ井さんに直接謝罪した。午後、東京都内で開かれた記者会見で、五ノ井さんが明らかにし、「謝罪を受けた時は涙が流れました。遅いなって思いつつも、やっとこの日が来たんだというふうに、思いました」と述べた。謝罪を受けた状況について、五ノ井さんは「1時間程度、1人ずつ謝罪を受けた。加害者たちは事実を認め、何度も頭を下げ、涙を流している人もいた」と報告。3人は土下座して謝ったという。なぜ最初は加害を認めなかったかと問うたところ、「『やっぱり家族に知られたくなかった』と言う人もいれば、他の隊員をかばう(発言をした)人もいました」と話した。また、加害側から受け取ったという手紙を手に「『自衛隊で活躍したい』という(五ノ井さんの)夢を、私の軽率な行動で壊してしまい、大変申し訳ありませんでした」などと読み上げた。一方、謝罪は受けたが、加害行為が消えるわけではない。「謝罪をされたから許される問題でもないと思うし、私の傷は一生の傷なので、しっかりと自分のしたことに責任を持って、罪をつぐなってほしいと思っています」と時折考えながら話した。五ノ井さんは2020年9月に郡山駐屯地に配属されて以降、日常的なセクハラや性暴力があったと訴えてきた。防衛省は22年9月末、20年秋に複数の隊員に体を触られた▽21年8月の訓練中に宿舎で押し倒されて性的な身体接触をされ、行為を口外しないよう口止めされたりした――などの被害を認定。加害側からの直接の謝罪は、五ノ井さんが要求していた。約1時間の会見。最後に立ち上がり、こう話した。「最初は自分との闘いで、先の見えない闘いでしたが、自分を信じて、絶対うそはついていないと思って、毎日いろんなことを言われながらも、自分だけを信じて進んできました」被害を訴えてきた日々を振り返り、こう言い切った。「私が目的としていた加害者の方からの直接謝罪をもらえたことは、本当に遅かったですけれど、私の区切りとさせていただきます」五ノ井さんは22年6月に退職し、動画投稿サイトで実名を公表して被害を告発。8月にインターネットで上で集めた10万人を超える署名を防衛省に提出し、内部ではなく第三者による調査を求めていた。「ここに至るまで本当にたくさんの方のご協力を頂き、この場をお借りして、本当に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました」そして今後のこと。区切りを迎えたいま、「自分らしく」との思いを吐露した。「今後、私は被害に遭ったからこう生きなければならないとか、静かに生活しなければいけない、笑ってはいけないというわけではなく、被害者としてではなく一人の人間として、強く生きて、いろんな人を笑顔にさせたり、人のために何かできることをしたり、とにかく自分らしく生きていきたいと思います」【宇多川はるか】

*2:実際にはこのような態度こそミソジニーに基づいている。この点についてはケイト・マン『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』を熟読されたい。

*3:故に最も民主主義的な政治形態とはくじ引きである。