家事代行労働者過労死に対する不当判決を考えるにあたって

家事代行労働者の過労死認定を求める裁判の判決が9月29日に行われました。

www.tokyo-np.co.jp

 

判決は原告の請求棄却という結果に。これは労働基準法が家事労働者への同法の適用を除外していることを明記しており、労災や社会保険の対象からも排除されてしまっているためです。

 

判決の報道を受け、労働社会学者の濱口桂一郎氏がコメントを出しています。

eulabourlaw.cocolog-nifty.com

 

なぜ家事使用人に労基法が適用されないかについては、濱口氏がブログでふれている坂井博美氏の論文が参考となります。論文は以下のPDFから参照できます。

 

坂井博美「労働基準法制定過程にみる戦後初期の『家事使用人』観」

https://libra.or.jp/images/gstudy16.pdf

 

報道を受け、家事使用人の労基法適用除外の理由を含めた、家事使用人に関する事項をまとめたいと考えていましたが、”前史”としての「女中」「派出婦」の歴史、セクシュアリティ、人種などさまざまな面からの論点が多く、一つのブログ記事にまとめることが不可能であると考え断念しました。その代わり、管見の限りではこの事件に関する社会的な関心はそこまで高いものであると必ずしも言えないだろうという考えから、家事使用人に関する文献を紹介し、今後の裁判の動向と併せて読者の関心を惹起したいと思います。

 

 

日本では高度成長期に至る1960年代頃まで、「女中」と呼ばれる住み込みの家事労働者の存在は珍しいものではありませんでした。都市部を中心に存在した女中の実態や歴史を包括的に紹介した本として小泉和子編『女中がいた昭和』は第一に抑えておくべきでしょう。

 

大正から昭和前期まで女中と呼ばれていた家事労働者は、昭和30年代後半になると「お手伝いさん」や「家政婦」とも呼ばれるようになります。かつては家庭内住み込みで働く女中が多かったものの、この時期になると国の主導により家事サービスを一つの職業として確立しようという動きがみられました。通勤の家事労働者自体は大正時代、「女中払底」という女中不足の深刻化を受け開始された「派出婦」の供給事業によって登場していましたが、派出婦が女中払底を背景に家庭内の労働力不足を埋める代替的な存在であったのに対し、家政婦はプロの職業人としてにわかに注目を集める様になったのです。この移行期に書かれた小説に、松本清張の『熱い空気』があります。

 

この小説は過去4回テレビドラマ化されており、うち3度目の作品は「熱い空気 家政婦は見た!夫婦の秘密”焦げた”」として映像化されています。実はこのドラマが市原悦子主演のテレビドラマシリーズ『家政婦は見た!』の第一話とされています。

 

『熱い空気』における家政婦の表象を分析した論文に清水美知子「松本清張の小説『熱い空気』にみる家政婦像」があります。清水氏は同小説に着目する理由として、第一に家政婦が主人公に据えられており、家政婦の視点から当時の中流上層の家庭を描いた作品であることを挙げています。そして第二に、家政婦が女中に代わる一つの職業として社会で認知され始めた時期に書かれた作品であること、第三に、主人公の心理描写が巧みであることに加え、当時の社会関係や社会意識がリアリティをもって描かれていることを挙げています。つまり『熱い空気』を”社会心理の文学”として読み解くことで、当時の日本社会における家政婦の位置付けや他者からの視線を理解することができるのです。女中や家政婦に向けられた眼差しは侮蔑を含むものも少なくなく、このような蔑みや差別意識が冒頭で紹介した家事代行労働者への労基法適用除外という法的な運用にも影響していると思います。

kuins.repo.nii.ac.jp

 

余談ですが、清張と『家政婦は見た!』製作陣との間にはドラマ化にあたって確執があったそうです。その辺りの詳細は以下の論文をご参照ください。

chukyo-u.repo.nii.ac.jp

 

未読ですが、女中の社会的、文化的な表象、イメージの変遷について知りたい方には以下の本も紹介しておきます。

 

なお、家事労働者の労基法適用除外をどのように改めていくべきか、ということが(これまでも)今後も労働運動の課題となることは間違いないでしょう。そのヒントとして、米駐留軍メイドとの比較は重要ではないかと考えています。これについては別のブログ記事で書きたいところですが、先に紹介した『女中がいた昭和』における占領軍家庭におけるメイドについて書かれた章をまず読んでもらえれば幸いです。また、近年この分野の研究成果が公開された様なので、こちらも併せて紹介しておきます。

www.jstage.jst.go.jp