わたしの好きなフェミニズムソングたち

少し前にTBSの番組「マツコの知らない世界」にSHOW-YA寺田恵子さんが出演して話題となった。

 

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世代の違いなのか、私(わたし)はSHOW-YAの音楽にふれてこなかった。でもガールズバンドの存在って「女性」をエンパワメントしてきた側面も大きいから、SHOW-YAの音楽とともに生きてきた人にとっては心の支えとなるような素敵なバンドなんだと思う。

 

わたしもジェンダーセクシュアリティについて考えるなかで、自分が好きだった音楽が「あれ、もしかしてこれってフェミニズム?」と思うような歌があった。反対に、その音楽にふれてから「これってフェミニズムじゃん!」と思うような音楽もあった。

 

今回はわたしがフェミニズムソングだと思う曲をちょっとだけ紹介しようと思う。

 

 

 

1. シスターフッドの名曲「女子たちに明日はない」(チャットモンチー/2007)

 

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そもそもわたしが邦楽を聞くようになったのは、2012年にノイタミナ枠で放映されたアニメ『テルマエ・ロマエ』のED曲「テルマエ・ロマン」を聞き、その曲を歌っていたチャットモンチーの存在を知ったことがきっかけだった。他の曲も聞くうちにだんだんハマっていき、元々蒐集癖が強かったこともあって過去のアルバムなども集めたりした。2012年当時は既にボーカルの橋本絵莉子さん、ベースの福岡晃子さんの2人体制だったのだけど、それ以前はドラムの高橋久美子さんも加わったスリーピースバンドとして知られていた。高橋さんは直接お会いしたことがあり、エッセイ『いっぴき』のサイン会でツーショット写真を撮ってもらった思い出がある。

 

 

『女子たちに明日はない』は初期に発表された曲で、2012年に発売されたベストアルバムにも載っている代表曲の一つだ。バンドの曲というと、多いのは恋愛についてのもので、いわゆる「思い思われ振り振られ」の心情を歌詞に込めた曲が多い印象がある。しかし、『女子たちに〜』はそれとはテイストが異なっていて、状況としては恋人同士が別れた後の歌なのだけど、暗いどころかものすごく「さっぱり」しているのが特徴的だ。

 

「 退屈な毎日に色気のないスケジュール

  メイクもおしゃれも手を抜き出して

  くすんでいった赤い糸

 

  絡まるエクステンション 引きちぎってさっぱりだわ

  まとわりつくものはない 今やっと 気づいたの

 

  あぁ あなたの声が遠くなる 遠く遠く

  あぁ あなたの声が遠くなる  」

 

夕暮れの空の下で女子たちが走り抜けるような疾走感。歌詞からは、ある種のしがらみとなっていた恋人との関係から解放され、「まとわりつくもの」がなくなった自由を謳歌しようという強い決意が感じられる。

 

家父長制、異性愛規範、ミソジニー………「女性」たちを縛りつける規範は依然として強いけれど、そういったしがらみを捨て、自分らしい人生を謳歌しよう!というメッセージだとわたしは受け取った。サビのコーラスが「女性」たちの連帯を強調していて、シスターフッドを謳った曲としては邦楽のなかでも屈指の名曲ではないかと思う。

 

 

 

2. 世界を革命する力を!「輪舞 revolution」(奥井雅美/1997)

 

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言わずと知れたフェミニズムアニメの名作『少女革命ウテナ』。奥井雅美のOP曲はいつもカラオケで歌うほど好きで、特に「たとえ二人離れ離れになっても 私は世界を変える」という最後のフレーズはかっこいいなあといつも思う。

 

最近になって同じ幾原邦彦監督の『廻るピングドラム』の映画化が発表され、静かな幾原ブームが巻き起こっている。『ピンドラ』は未視聴だけどいつか観たいと思っていた作品だから、映画化の前に全編視聴を完了したいと思う今日この頃。あたしが初めて幾原作品にふれたのは『ユリ熊嵐』だった。その独特な世界観が好きで、アニメレビューサイトを眺めていた時に『ウテナ』の存在を知り、数年後に視聴を開始した。

 

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実はこのブログを書いている時点で『ウテナ』の視聴は途中で止まっている。これはわたしの悪い癖なのだけど、気分が乗らないと本は途中で読むのをやめてしまうし、シリーズアニメも長い期間を経て続きを視聴することもあるし、ゲームも本編の途中なのに放っておいてしまう。図書館で借りた本とか、返却日当日になっても読まないとかザラにある。『ウテナ』も2クール目の途中で中断してしまっていて、この後にあるウテナの挫折という有名な劇的シーンも未だに観れてない泣

 

それはさておき、全編視聴していないので途中までの雑感ではあるのだけど、この作品がフェミニズムを描いていることに異論はないだろうと思う。第1話なんかもう典型で、「薔薇の花嫁」の姫宮アンシーに暴力を振るっておきながら、彼女を「愛している」と言う西園寺英一はDV男(=家父長制)の象徴だ。西園寺の「薔薇の花嫁」となっていた間は「西園寺様」と呼んでいたアンシーが、ウテナとの決闘に敗れた途端「先輩」呼びをしたシーンは、権力関係の逆転が鐘の音で強調される印象深いシーンとして記憶に残っている。

 

1クール目を観た限りでの印象で恐縮だが、生徒会長の桐生冬芽はいわゆる「リベラル男性」の表象として描かれていると思った。冬芽は「フェミニスト」を自称する一方で、女性たちに既存の家父長制的秩序の遵守を求める人間だ。20年以上前の作品だが、昨今のバックラッシュとそれに与するシスヘテロ左翼男性の発言が冬芽の姿と重なって見えてしまい、まだこの世界は『ウテナ』の世界より進んでいないか、むしろ後退しているのではないかとさえ思ってしまう。

 

ところで、『ウテナ』で一番好きなキャラクターは冬芽の妹の七実なのだけど同志おる?

 

 

 

3. あたりまえって何かしら?「あたりまえつこのうた いちばん」(やくしまるえつこ/2018)

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バンド「相対性理論」を知ったのは、同バンドのアルバム「シフォン主義」が「第1回CDショップ大賞」にて大賞を受賞したニュースを聞いた時だった。変わった名前のアルバムだなと思い、理論の曲を検索かけて聞いているうちにだんだんハマっていった。

 

「理論」は歌詞がいい。『チャイナ・アドバイス』のように言葉遊びを使った可愛らしい曲もある一方で、現在のコロナ危機の世界を彷彿とさせる『ミス・パラレルワールド』のように時代の先を行くような未来的な曲も多い。そしてなんといっても、やくしまるえつこ自身の声と世界観が魅力である。

 

理論としての活動の他、やくしまるさんはソロでの活動も行なっており、楽曲制作だけでなくテレビ番組のナレーションも担当することが多い。NHK『欲望の資本主義』シリーズのナレーションをやくしまるさんが担当しているのは、彼女の興味関心から考えればぴったりの配役であるように思う。

 

また、やくしまるさんの「わたしは人類」はバイオテクノロジーを駆使して制作されている曲で、「微生物シネココッカスの塩基配列を元に楽曲をつくり、 それをDNA変換して再度その微生物に組み込んだこの作品を、音源と遺伝子組換え微生物で発表。 音源は2016年9月16日から世界配信され、やくしまるは遺伝子組換えをほどこしたこの微生物を現在培養中」(下記記事より抜粋)という異色の作品である。文化理論を専門とする清水知子さんも論文(↓の書籍に所収)のなかで取り上げるほど、やくしまるさんは音楽やアカデミズムの界隈を超えて注目を集めている。

wired.jp

 

さて、そんな八面六臂の活躍をみせるやくしまるさんはNHKのある子ども向け番組に楽曲を提供している。「あたりまえつこのうた」シリーズはその番組のテーマソングで、世の中で「当たり前」とされているさまざまな規範や現象について考えてみようというコンセプトで番組が放映されている。

www.nhk.or.jp

 

やくしまるさん自身はダイレクトにフェミニズムについて唄った曲はあまりなく、この曲もフェミニズムの曲かと言われればそうでもないのかもしれない。しかし、

 

「 男の子 BOY

  女の子 GIRL

  いろいろ違う

  あたりまえ

 

  でも 男の子と女の子は

  どうして違うのかしら 」

 

「 男の子 らしい 

  女の子 っぽい 

  いったい だれがきめるの?」

 

といったストレートかつ深い歌詞は、子ども向け楽曲という趣旨以上に、やくしまるさん自身の思想を背景とした、今の社会に対する批判的考察の意味を含んでいると思う。

 

 

 

4. トランスジェンダーにとって「満点な人生」とは何か?「ルマ」(莉犬/2019)

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ボーカロイド曲の制作で知られる「かいりきベア」氏が莉犬くんのために書き下ろしたオリジナル楽曲。莉犬くん(「さん」付が適当かもしれないが、公称であり、また、後述する彼自身のアイデンティティなどを考え「莉犬くん」と表記)は6人組エンタメユニット「すとぷり」のメンバーである。「すとぷり」は主にYoutubeツイキャスなどを中心に多岐に渡る活動をしているグループで、2021年6月時点でYouTubeでの動画総再生数が38億回を突破しているほどの熱狂的な人気を誇る。

 

曲名の「ルマ」とは「マル」を逆さ読みしたものといわれている。というのも、この曲は「ダメダメな」学生生活や人生について歌っているからだ(下記記事参照)。

utaten.com

 

「 満点な人生も

  秀才な解答も ございません

  有害な評論も

  見え透いた同情も 聞きたくはないな 

 

  壮観な表彰も

  平凡な真っ当もございません

  暗転な将来も

  傲慢な快晴も 見たくはないな  」

 

「満点」「解答」「表彰」といった学生生活を彷彿とさせるような歌詞に「聞きたくはないな」「見たくはないな」という否定語が続く。さらに、冒頭の歌詞に対応する2番の歌い出しでは

 

「 満点な答案も

  優秀な成功もございません

  後悔な人生も

  停滞の殺到も 見たくはないな  」

 

となっており、自分には「優秀な学生生活」も「成功した人生」もないという意味が含まれている。しかし、『ルマ』はただ自分が見窄らしいと思うような自身の人生を歌った曲ではなく、むしろその人生を肯定するような歌なのだ。

 

「 愛を頂戴

  感情熱唱メッタッタッタ 声枯らせ

  全然わかんない

  ×点 喰らい尽くせ

  心臓血漿 ラッタッタッタ

  踊り舞え

  正解なんてバイバイ

  提唱だダダダダ (ワオーン!)  」

 

疾走感のあるサビに登場する「×点(バッテン) 喰らい尽くせ」という歌詞が力強い。×点すなわち「マルではない=ルマ」な人生を肯定して生きようとする人間讃歌のメッセージに、この曲の人気の秘密が隠されているように思う。

 

ところで、なぜわたしが『ルマ』をフェミニズムソングの一つとして挙げているのか不思議に思う人も多いだろう。実際、『ルマ』をそんなふうに解釈している人は見たことがない。

 

それでもあたしがそう考えるのは、歌っている莉犬くんがFtoMであるというのが理由だ。

 

莉犬くんは2017年に「性同一性障害」という診断名を受けていることをカミングアウトしている。

 

 

日本はトランスジェンダーにとっては地獄な国だと思う。最近の事例だけ見ても、ネット上に溢れるトランス排除言説や、『ミッドナイトスワン』のように実際のトランスジェンダーの当事者像とはかけ離れた映画の量産など、当事者に対する差別が後を絶たない。

 

莉犬くん自身も過去にさまざまな差別に遭ってきた経験を語っている。トランスジェンダーを排除しようとする社会と、その社会に自身のアイデンティティを苦しめられる当事者たち。そんな当事者たちにとって「満点な人生」とはいったいなんなのだろうか?私(わたし)には、『ルマ』が、トランス当事者たちが受けてきた悲痛な経験と、その経験を引き受けてなお、自身の生を肯定したいと叫ぶ歌に聴こえてならない。だから『ルマ』は他でもない「フェミニズムソング」の一つだとあたしは思っている。

 

 

 

 

長々と自分の好きな曲について語ってきたけど改めて思う。

 

いや、好きな曲偏りすぎか?

 

多分フェミニズムソングって、マドンナとかそれこそSHOW-YAとかもっとダイレクトに女性の連帯や抵抗を歌った曲を指すと思うのだけど、あたしの楽曲に対する興味関心が狭く深くすぎて「いやこれ、フェミニズムちゃうやろ」みたいに思う人もいるんじゃないかと思う汗

 

もしこのブログを読んでくださった人のなかでおすすめのフェミニズムソングがあれば是非コメントをお願いします!!!m(_ _)m