日本は幸福(しあわせ)か
先日、自民党の高市早苗が第104代内閣総理大臣に就任した。女性初の首相が誕生したということで様々な評価があふれているが、個人的には労働政策に関する動向が気になっている。というのも、高市が自民党総裁に就任した際の演説で以下の発言をしたからである。
自民党の新しい時代を刻んだ。うれしいよりもこれからが大変だ。多くの方の不安を希望に変える党にする。
(党再生には)全世代総力結集で頑張らないと立て直せない。全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていく。党を立て直すため、それぞれの専門分野で仕事をするよう心からお願いする。
この発言を受けて真っ先に思ったのは、過労死がさらに増えるだろうということだった。毎年11月は「過労死等防止啓発月間」とされているのだが、それを前にしたタイミングで影響力のある政治家が過労死を促進するような働き方を煽ることに危機感を覚えた。
過労死は実際に増えているのか。結論から言えば増加傾向にあるといえるだろう。
まず労働時間について。「令和6年版 過労死等防止対策白書」によれば、日本の労働者1人あたりの年間総実労働時間は、長期的には緩やかに減少していたものの、2021年度から概ね横ばいとなり、2023年度は前年より3時間の増加となった*1。また、一般労働者とパートタイム労働者別にみると、一般労働者の総実労働時間は2018年度から2000時間を下回り減少傾向にあったが、2020年から微増傾向にある。一方、パートタイム労働者は2019年度から2000時間を下回り、2020年度以降は横ばいとなる*2。

次に労災補償の状況について。脳・心臓疾患に係る労災請求件数は、2023年度は1023件と前年より220件も増加した。そして2023年度の労災支給決定(認定)件数は216件で、これは2年連続の増加、前年度より22件の増加となっている*3。あくまで申請件数をベースとした統計なので、申請に至らなかったケースや、申請しても証拠不全等で認定に至らなかった暗数を含めれば、過労死の疑いがある件数はもっと多いだろう。

1人あたりの年間総実労働時間は中長期的に減少しているが、これはパートタイム労働者比率の増加傾向が継続しているためとも考えられる*4。そうなると危惧すべきは一般労働者の過重負担増である。パンデミック以降、労働時間が再び増加する揺り戻しが起きているが、人手不足の職場も少なくないため労働者の負担は増える一方だ。こうした状況を鑑みれば、労働時間規制緩和に意欲を示す高市の労働政策は警戒せざるをえない*5。
この間、過労死遺族の手記を集めた『日本は幸福(しあわせ)か』を読み直した。過労死とは企業による殺人である。まさにワークライフバランスを捨てたような環境で多くの労働者が企業に殺されてきたのだ。政治家の役割とは、過重な労働を規制し人権を尊重する働き方を推進することにあるはずだ。それがわからないなら、まずは過労死遺族の言葉に向き合うべきだろう。
石破談話
高市の総裁就任から間も無く、石破首相(当時)が「戦後80年によせて」という内閣総理大臣所感を発表した。内容は首相官邸の公式HPに掲載されている。
戦後80年談話では排外主義やメディアの問題について踏み込んだ内容も含まれていた。しかし、談話が想定して呼びかけている対象の範囲は自民党党内、ないし国内であり、その意味で全体的に「内向き」だった。そのため、アジア諸地域に対する侵略や植民地支配に対する言及がなく、被支配地域だけでなく国内にも多くの対象者がいる戦後補償の問題についてもふれていなかった。天皇制の下での帝国主義的侵略に対する反省や実効支配を行った諸外国、諸地域に対する謝罪がなかったのは問題である。石破は軍事や歴史に造詣が深いという評をよく聞くが、今回の談話は悪くいうと軍事オタクで日本史マニアの戦争論を聞かされている感じがした。そういう意味でも「教科書的」な戦前観を踏襲した内容という印象を受けた。
今年は治安維持法制定から100年の節目である。個人的にその歴史的タイミングは重要だと考えているが、石破も流石に保守政治家だからなのか、反政府、反帝国主義運動にはふれず、代わりに政治家や学者、ジャーナリストらエリートの引用に終始した。また、国内向けの談話でありながら沖縄を捨て石にした歴史は出てこず、旧きよき保守派の「良識」なるものの底がみえた。
いのちのとりで裁判
高市内閣の顔ぶれで注目すべき点の一つは片山さつきの入閣である。片山は2012年の生活保護バッシングを扇動した政治家であり、「生活保護を恥と思わないのが問題」という発言が批判を浴びた。高市も同年、生活保護の不正受給問題にふれた折に「さもしい顔をして貰えるものは貰おうとか、弱者のふりをして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」という発言を残している。
先日、いのちのとりで裁判全国アクションが主催する「いのちのとりで10.28大決起集会」に参加した。いのちのとりで裁判とは、生活扶助費が2013年から平均6.5%、最大10%引き下げられたことをめぐり、全国の生活保護利用者が国に対して引き下げ処分の取り消しを求めた裁判である(下記記事より)。
今年6月、最高裁が大阪と名古屋の訴訟について引き下げを違法として処分を取り消す判決を下している。しかし、判決から4カ月以上経つにもかかわらず、国からの謝罪も被害の回復もなされてこなかった*6。石破内閣は原告らに対し真摯な対応をしないまま総辞職したし、高市内閣も首相自身を含む閣僚の過去の発言や政策に対する姿勢から社会保障政策に関して懸念が残る。少なくとも、生存権をめぐる思想は両政権とも保守的であるし、以前の自民党政権においてもそれは地続きであった。
集会に参加して思ったことは、反動的な政権が続いているなかで、これだけ多くの人々が組織的に闘っているのだということであり、そのことに驚きと敬意を持った。原告の方々のスピーチを聞いて勇気をもらったし、自分も連帯してともにできることをしたいと思った。
ところで、外部団体の連帯アピールでは岩本菜々さんのスピーチが印象に残った。これは他のスピーチと比べてある意味で浮いていたからである。前半では自身が専門委員会との交渉に参加した際に厚労省に対して抱いた怒りについて話されたが、後半では自身が代表を務めるPOSSEが農地運営に着手したことなど最近の活動について語られた。大学で生存権や社会保障の問題について語ると排外主義のトピックよりも学生の反応がいいというようなことも話していた。
岩本さんの連帯アピールは、後半の自分たちの活動の紹介が主軸だった。それはまるで、まだ見ぬ同志に闘争を呼びかけるというより、今いる仲間に向かって自分たちの実績を確認するかのようなメッセージとして聞こえた。
自分たちの団体が主催する集会であれば別にそれでもよいと思う。しかし、今回の集会はあくまで外部団体として招聘されているにすぎない。他の外部団体の方のスピーチはよくも悪くも無難な内容だったが、原告ら登壇者のスピーチを受けて自分たちができることを話す方が多かった。岩本さんのスピーチは自分たちの活動の紹介に終始してしまい、残念ながら集会の趣意を汲んだ連帯のアピールだと思えなかった。そういう意味で他の連帯アピールからは浮いてしまい、岩本さん自身の”青さ”を露呈させていたように感じた。
石破談話と岩本さんのスピーチに共通することは、呼びかけの対象が「内向き」であるということである。現状をよく思わない、今の社会をよくしなければならないと思っているにもかかわらず、見ず知らずの他者ではなく、考え方が近い既知の同志と関係を築こうとする。
農地運営はその最たる例である。わたしの場合、農地運営と聞いて思い浮かぶのはヤマギシ会のそれである。生存権を獲得するために生産手段を囲い込み自分たちだけの共同体を作り出す。聞こえはいいものの、それは自身が構成員として所属する社会の変革を諦め拒絶するという態度でもある。資本主義の「外部」をつくり、そこから脱出してユートピアを建設しようという試みはいいと思うが、それは様々なバックグラウンドや考え方を持つ人々が集まり協働して初めて可能となる試みである。自分たちの団体がオルグしたボランティアを集めただけでは実現不可能なのだ。両者のメッセージを聴いて、仲間内にこもるのではなく、自分たちとは違う他者の存在とともに活動する重要性を改めて認識した。
植民地主義 天皇制と過労死
さて、10月はこちらのイベントにも参加した。
琉球⺠族遺⾻返還を求める連続講座・ 第2回 2025年10⽉2⽇(⽊)18 時開場、18 時 30 分開会~20 時 30 分 東京ボランティア市⺠活動センター会議室(JR 飯田橋駅 隣)参加費:500 円 連絡先:070-2307-1071、E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp pic.twitter.com/dSjSq2Rs74
— 東大遺骨返還プロジェクト (@UTikotsuPJ) 2025年9月22日
仕事終わりに向かったが途中迷ってしまったため、残念ながら終了間際10分ほどしか参加できなかった。にもかかわらず、主催のご好意で懇親会に参加させていただいた。京都大学による盗骨問題について詳しい話を伺うのは初めてで、登壇者の前田朗さんや松島泰勝さんらから直接教授していただく機会を得たのは幸運だった。
京都大学が学術研究の名において盗掘した琉球民族の人骨を返還しないのは「植民地主義的な対応」であり、先住民族の自己決定権を踏みにじる行為である。京都大学が所蔵する琉球人遺骨は「清野コレクション」と呼ばれる所蔵品の一角で、京大はこれを個人の所蔵品だとしているという。しかし、当該研究室のHPには「日本屈指の発掘人骨資料」として大学の所蔵品であると公表しており、「当事者の人権を配慮しない学知の傲慢性」が浮き彫りになっている*7。
前田さんや松島さんのお話を聞いて思ったことは、盗骨は所有権をめぐる問題でもあるということである。私(わたし)は社会運動にコミットした期間がそれなりに長かったものの、学術機関による盗骨の問題について詳しく聞く機会があまりなかったように思う。それは所属した運動団体の問題ももちろんあるのだが、所有権という、いうなればブルジョワ的権利の一つをめぐる問題であったことも大きいのかもしれないと思った。左翼の立場からすれば、ブルジョワ的権利にこだわって一つの闘争にコミットするより、私的所有を排した、いわゆる「コモン」の創出の取り組みに関わる方が思想的にも好まれるのだろう。しかし、遺骨返還運動はただ所有権をめぐる闘争というだけでなく、反植民地主義、反人種主義の立場からも重要な闘争であることは間違いない。
大学による盗骨の問題について、忘れてはならないのは天皇制の問題である。天皇制の問題は冒頭の高市首相の労働時間規制をめぐる発言を聞いて強く意識したことでもある。
戦後の日本企業が「企業戦士」を生み出し、生産性を是とする社会で過労死を引き起こしてきた過程は、天皇制を国体とし戦争への協力を日本が支配する地域住民に強制して日本軍兵士を死なせてきた戦前社会と重なる。このような指摘は多くの識者によってなされてきたかと思う。実際、『日本は幸福か』の構成に携わった青山恵さんも次のように述べている。「...考えてみれば、「戦争」で死んだ人と現代の「経済戦争」のなかで死んだ人とのあいだに違いはあるのだろうか。過労死は、日本企業が戦っている経済戦争、企業戦争の戦死者以外のなにものでもない」*8。
天皇制と過労死の問題はつながっているはずである。しかし、近年の労働運動では天皇制と過労死のつながりを指摘しないばかりか、労働問題を天皇制の問題とは別の問題として引き離し隠蔽しようとする力学が働いてきたのではないかと思う。それは日本「国民」にとって天皇が所与の存在であるからであり、天皇制が支持されている社会で天皇制の問題を提起することが運動を展開するうえで労働者の合意を得ることにつながらないからである*9。労働運動の大衆化を進めるうえで、近年の労働運動家、研究者の一部は意図的に天皇制について問わない戦略を採用してきたのではないだろうか。
この戦略を反省的に捉える必要が出てきたのではないかと思う。過労死が天皇制の問題とつながっていることを不問に付す識者は経済的要因のみをもって過労死を説明しようとする。しかし、これでは「日本人」の権威主義への従属、精神的支柱としての天皇制の問題と労働との関係を捉えることができない。さらに、戦前日本の植民地、侵略国家、地域への加害の問題、そして過労死を引き起こしてきた戦後日本社会の労働者の加害の問題との関係を捉えることができないという問題もある。日本軍兵士と「企業戦士」は国策による"犠牲者"であると同時に、(新旧)帝国主義の担い手でもあることを留意すべきである。
高市の演説によって、図らずも天皇制と過労死が直接的に結びついていることがクリアになったのではないか、筆者はそのように感じた。極右政治家が首相に就任した今、天皇制と労働の問題について、再考すべき段階にきているのはではないかと思う。
*1:『令和6年版 過労死等防止対策白書』、p2。ちなみに、書籍版とweb版は題名が微妙に違う。今回は書籍版を参照したが内容はweb版とほとんど変わらない。
*2:同、p3
*3:同、p35
*4:同、p3
*5:高市は11月5日の衆院本会議での代表質問で、労働時間規制について次のように述べている。
労働時間規制の緩和の検討をめぐっては、「残業代が減ることによって、生活費を稼ぐために無理をして副業することで健康を損ねてしまう方が出ることを心配している」と語った。
首相は「過労死に至るような残業を良しとはしない」とした上で、「心身の健康維持と従業者の選択を前提に、労働時間規制の緩和の検討を行う。働き方の実態とニーズを踏まえ検討を深めていくべきものだ」とも述べた。www.asahi.com
高市がこのように答弁したのは、「全国過労死を考える家族の会」の働きかけが大きく影響しているだろう。
「過労死に至るような残業を良しとはしない」という発言を引き出したのは成果だが、労働時間規制緩和の懸念がなくなったわけではない。そもそも、これはしばしば忘れられがちなことなのだが、労働基準法における法定労働時間は1日8時間、週40時間までと決まっており、残業そのものが法的には例外的状態なのである。法定時間外労働はいわゆる「36協定」を結ばない限り違法であり、36協定による残業の上限も原則として月45時間、年360時間までである。残業ありきの働き方を前提とする現状に問題があり、そのことを顧みずに社会を設計しようとする高市の姿勢が誤りだというべきであろう。やはり労働者側としては労働時間短縮と賃上げを訴えていく必要がある。
安倍政権(当時)が2018年に提出した「働き方改革」関連法案は①企画業務型裁量労働制の営業職への拡大、②「高度プロフェッショナル制度」の創設、③時間外労働の上限規制の3つが柱となっていた。このうち、①は政府が虚偽のデータを前提に提案したことで強い反対にあい削除、②は2007年の第一次安倍政権下で提出された「ホワイトカラー・エグゼンプション法案」の焼き直し、③は政府案の時間外労働の上限規制の欺瞞性が大きいだけでなく法定労働時間をいっそう形骸化させるという問題があった(森岡孝二「過労死の現状と「働き方改革」の行方」(森岡孝二、大阪過労死問題連絡会編『過労死110番 働かせ方を問い続けて30年』岩波ブックレット、2019年、p4-10))。安倍政治の継承を強く意識する高市政権で、安倍政権下の労働関連法案に酷似した政府案が提出される可能性は非常に大きい。
*6:11月7日、最高裁判決を受け高市首相が「深く反省し、おわびしたい」と述べ、判決後、政府が公的に初めて謝罪した。一方で、減額分の支給を、原告側が求める全額ではなく一部補償とする調整を実施するとも述べるなど、不誠実な対応が続いている。
*7:松島泰勝「第14章 問題解決のための今後の展望」(松島泰勝、木村朗編『大学による盗骨』耕文社、2019年)、p282
*8:全国過労死を考える家族の会編、構成・青山恵『日本は幸福か』、教育史料出版会、1991年、p309
*9:2019年に毎日新聞が行った全国世論調査では、「現在の象徴天皇制でよい」と答えた人が74%と多数を占め、「天皇制は廃止すべきだ」と答えた人はわずか7%にとどまった。


