藤田孝典にブロックされました

セックスワーカー差別で悪名高く、最近はトランス差別にも加担している藤田孝典が、自身のTwitterでこんなことを言っていた。

 

 

「差別の定義」を聞いてみろって・・・これってヘイトスピーカーの常套句じゃん!

 

流石に他の人たちもひどいと思ったようで、トランスヘイターや右翼を除いては皆批判している。それはそうだ。

 

でも、藤田と近しい間柄の人たちや貧困運動に関わっている人たちからは何の反応もない。反差別運動の中心にいるような運動家の人たちからも反応が少ない。これは流石にアウトだと思うんだけど・・・

 

私(わたし)も引用してコメントした↓

 

 

そしたらなんとブロックされてしまった!!!

 

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他の引用ツイートも見たけど、わたしがツイートした時は引用数が65件くらいで、そのうち引用が非表示になっているのは私(わたし)のツイートも含めて2件だけだった。だから藤田は私(わたし)の言っていることをちゃんと認識したうえでブロックしたんだと思う。

 

他の人と言っていることはそんなに大差がないのに、なぜわたしを狙い撃ちに・・・?

 

思うに、藤田はあたしを「女性」だと認識して、「自分の意見を持った女性」だからブロックしたんだと思う。藤田にとっては、藤田が思う「女性」的なコミュニケーションを行うとみなした人が、藤田に対する意見を、しかも「マイクロアグレッション」とか「ホモソーシャル」といった用語を使って批判してきたことをあまりよく思わなかったんじゃないかと思う。わたしとしても、問題を的確に批判しなきゃと思って論理を組み立てたところはあるんだけど、学問的な用語を使って批判したことが気に食わなかったのかな。

 

 

 

最近、『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』という本を読んでいる。著者のケイト・マンによれば、権力を持ったシス男性が「女性」を攻撃するのは、女性を人間扱いしないからなのではなく、男たちが想定しているような人間ではないから攻撃するのだという。 

 

 

「…ミソジニーは自己隠蔽的(self-masking)な現象である。人の注意にそれを向けようとすると、かえって問題の現象を増幅させることになりやすい。これはどうにもならない逆説的な状況を生み出すことになる。しかし、私の見るところ、迂回路は存在しない。

 この点からさらに明らかになるのは、女性を人間として認知しないことがかならずしもミソジニーを生み出すわけではないし、しばしば両者は無関係ということである。というのも、ミソジニーは、女性が自分と同じ人間であるという意識を前提するような仕方で女性を標的にするかもしれないからである。そこで、鍵となる問いは、女性が人間であるか否かということから、人間的「存在」であるかどうかに移ることとなる。女性にたいしてさまざまな道徳的援助、尊敬、気遣いなどを求める支配的な男性にとって、女性はたんに人間的存在(being)なのではなく、人間的与える者(givers)と位置づけられるかもしれない。女性は男性がそうであるように、そうあることを許されない。女性は十分に与えることをしない場合、もしくは、正しい方法で、正しい精神において、正しい人たちにたいして与えない場合、困難に陥ることになりやすい。そして、この点で過失を犯すか、自分のために男性と同じような援助や気遣いを求めるならば、ミソジニー的な怒り、処罰、憤りを誘発する危険がある。」(『ひれふせ、女たち』p12)(原文で強調されている箇所は太字で表現。下線部は筆者の強調)

 

 

今回、藤田が私(わたし)をブロックしたのも、彼のミソジニーからきていると思う。藤田にとってあたしは人間的「与える者」(=自分の考えに賛同してくれる人)ではなかった。ただ単に「差別だからやめろ」と言っている限りは「あ〜この人は何もわかってないねえ〜ニヤニヤ」と余裕をこいていられるけど、いざ「あなたの言動は特定のマイノリティに対するマイクロアグレッションだからやめてください」と反差別の論理で批判されると「俺はこんなに『女性』のことを考えて頑張っているのに、わけのわからない概念を使って批判してくるとは何事だ!」というような感じで怒ってしまったのではないかと思う。

 

最後に、さっきちらっと書いたけど、度が過ぎる彼の発言を放置する運動仲間も問題だと思う。一応、藤田は反貧困運動の「実績」があるし、最近は在日外国人の支援活動もやっているみたいだから「藤田がいないと運動に損害が出る」なんて思っているのかもしれない。でも、これまでのTwitterの言動やそれに対する抗議の声を聞いていれば、藤田を運動の中心に据える方がよほどリスクが高いと思う。実績があるという理由だけで彼の差別扇動を放置するのは、ホモソーシャルな関係性を再生産していることと同じなのだから、お仲間さんたちにはちゃんと対応してほしいと思う。